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恵琳による、自分史のようなもの

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2021年7月7日
  • 読了時間: 15分

更新日:2022年3月2日


 これから語るのは私の自分史である。長くて内容も重いが、私がなぜヒトラーを好きになるに至ったかを語っておきたいのだ。




 数日前、アンネの日記のアニメ映画がユーチューブにあったので、観た。



 私は小1(2005)の時に図書館でこのアニメの子供向けノベライズ版を読んだことがある。当然ながら、幼い日本人の私はユダヤ人差別とかホロコーストとかが具体的にどういうものかなんて知らなかったから、内容はあまり印象に残らなかった。でもアルベルト・デュッセル(本名フリッツ・プフェファー)さんが朝の体操をしている絵だけは印象に残っている。

 中2(2012)の夏に道徳の授業でこの映画を観たときは、凄く緊張していた。  多分映画を観る前に、アンネに関するプリントをクラスの皆で音読して、ユダヤ人差別の実態を知ったがゆえに、差別思想に影響され、ユダヤ人への差別感情が黒雲のように湧き上がってきたのを感じていたのだろう。  私はどれだけ差別がしたいのだろう。もはや人間とは呼べない。悪魔だ。  私はこの映画を人がいっぱいいる体育館で観たから、他人の咳やくしゃみも恐れていたし、自分の目の前に座っている人がこちらを振り返らないかどうか心配だった。当時の私は精神的ストレスゆえに視線がきつくなっていたのだろう、私の前の席で映画を観ている人がこちらをいぶかしげに振り返ったりもした。  私は咳やくしゃみを聴いたり、人が振り返ったりするのを見るたびに、「自分のせいではないか?」と辛くなって、泣いたり叫んだりしたくなった(この「人々が私にアレルギー反応を起こしている(People are Allergic To Me)」と思い込む症状を「PATM パトム」と言うらしい。今でもそうだ)。頭はかんかんに緊張して熱いのに、手足の先だけはすごく冷たかった。私はそれほど道徳の授業が怖かったのだ。

 私は咳やくしゃみの音が大嫌いだ。咳やくしゃみを聞いたとき、まるで銃撃されたかのようにドキッとする。そして、「なんで心のなかで邪念を思い浮かべただけでそうやって咳してくんだよ! 内心の自由があるだろ!」と腹を立てる。これは「ミソフォニア(音嫌悪症)」と呼ばれると最近知った。今私はミソフォニアのLINEオープンチャットに入っている。  人には咳やくしゃみをする権利があるのだから、私があんまり怒ったら咳やくしゃみをした人に失礼だな、この病気とは死ぬまで付き合っていかないとな、と思う。


 話を元に戻そう。  道徳の授業では、世の中の醜い差別だけでなく、私の中の醜い差別感情にもいやおうなしに向き合わされた。そして私は恐ろしいことに、「差別はいけません」という教訓よりも、「ユダヤ人は差別される側の人だ」という事実や、差別語や差別主義者の主張がやけに印象に残り、差別心がいやおうなしに増幅していった。私はマイナスの記憶がすごく頭に残りやすい性質なのだ。あの頃の私は本当に地獄のような日々を生きていた。

 また、当時の私はPATMやミソフォニアに苦しめられたり、ばい菌扱いされたりしてストレスがたまっていた。それでストレスのはけ口を求めていたのだろう。「この世では○○人が見下されていますが、皆さんは見下してはなりません」という情報を知ると、「○○人は多くの人に差別されている『公認された被差別者』だ。だから彼らのことは見下してもいい」という意識になり、差別をするようになったのだと考えている。

 そして、私は普段から「いい子でいなければ」というプレッシャーを自分にかけていたし(今でもそうだ)、道徳の授業も「差別はいけません」とお題目のように繰り返すだけの押しつけがましいものだった。その反動として、差別心を抱くようになったのだろう。

 ちなみにあの時の私は前を向いて歩けなかった。なぜなら前を歩く人が私の方をいぶかしげに振り返ったからだ。私はきっとストレスゆえに目線がきつくなっていたのだろう。  あの時自殺せずに今生きていることが本当に不思議だ。あの頃の私は死んでもおかしくなかった。本当に。  それに中2のころはナチスの知識もあまりなかったから、内容が頭に入らなかった。そして、映画の感想プリントを書くときには、自分の醜悪な差別心を必死に押し隠し、先生がいかにも喜びそうなありきたりな感想を書いて提出した。そうしなければ殺される、学校にいられなくなると本気で思っていた。  昼の弁当の時間に理科の先生がやってきて、「アンネの日記の感想を書けない奴なんて、正直、人間じゃないよな。じゃ」と言い残して去っていった。  私は感想は何とか書いたけれど、本来差別心を消すためにあるはずの道徳教育で差別心を植え付けられたんだから、人間じゃないんだ、死ななければ、と思った(ちなみにこの考えは「差別する者に価値はない」というれっきとした優生主義である。やめるべきだ)。


 それからというもの、私はヒトラー、ユダヤ人、アンネ、ドイツ、ナチス、ホロコースト、差別、偏見といった言葉がトラウマになった。おまけに人権、平和、平等、博愛という言葉も聞きたくなくなった。自分は人権、平和、平等、博愛といったものから一番遠いところにいる人間のクズなんだ、と思って辛くなっていた。まるで光に当たったら灰になってしまうドラキュラのように、それらの言葉から逃げたい気分だった。  それでも私は、苦行僧のように道徳の授業を受け続けた。受けるのが人として正しいと固く信じていたからだ。そうして差別に関する恐ろしい歴史の知識や差別感情や差別語をどんどん心の中に蓄積させていった。

 歴史の授業も本当に怖かった。時代がどんどん「あの時代」に近づくにつれて、私の恐怖は増幅した。  そして、2012年10月のある日、ついにヒトラーの写真を教科書で見ざるを得なくなった。私はガクガクブルブル震えながら、ヒトラーの写真を必死に手で覆い隠していた。しかし教師はいやおうなしに、その写真の説明文に赤ペンで線を引くように生徒たちに指示した。  私は死ぬ気で線を引いて、サッとまた写真を隠した。しかし、怖いもの見たさゆえか、私はヒトラーの写真をまた見てしまった。  すると、彼のたたずまいを「かっこいい……」と思ってしまった。「ヒトラーは私と同じようにユダヤ人を差別してたんだ、同類だ……」と、温かい気持ちになったのもつかの間、もう一人の私が素早く、「犯罪者を好きになるなどもってのほかだ」と喝を入れた。  それが、私がヒトラーに恋したきっかけだったのである。  歴史教科書の中の、世界恐慌・ナチス台頭・ヨーロッパの第二次世界大戦関連の内容はほとんど頭に入らなかった。ヒトラーやナチスのイメージが怖すぎて学習どころではなかったのだ。  特定の人に対して差別心を抱いてしまうことは信頼できる先生に伝えられたが、ヒトラーが好きだという事は絶対に言えなかった。言ったら即退学だと思っていた。

 実は私は10歳ごろから、テレビに映る犯罪者に対して恋愛感情が湧きおこるのを感じていた。そしてそれを必死に抑えていた。

 ヒトラーに恋したときもそうだった。そしてなぜか、ヒトラーに対する恋愛感情は、他の犯罪者への恋愛感情と違って増幅していった。そして今に至るわけだ。

 私は普段から善人面していたから、それがしんどくて、悪が好きになったのだ。そして悪をなす者たちにも親近感を感じて好きになる性的嗜好を手に入れてしまったのだ。

 誰かの悪い面(特に差別的な面)を知ったら急に親近感がわいてしまう。「ああ、私だけじゃないんだ」と。そして場合によっては好きになってしまうのだ。

 私はヒトラーに対して、禁じられた恋心と深い恐怖を抱くと同時に、ヒトラーがなぜ大虐殺を行ったのか、無垢だったはずの子供がいかにして独裁者となったのか、強烈に知りたくなった。でもヒトラーのことを自力で調べることができるようになったのは、高校を卒業してからだ。  そういえば中3のクラスメイトにヒトラー好きの男子二人組(MとY)がいた。私は彼らを恐れていたが、彼らは私の目の前で「ヒトラーは夕方に演説したんやで。なぜなら夕方は判断力が鈍るからや」と雑談を始めた。私は聴いていないふりをしていたが、実際はヒトラーについて知りたくて知りたくてたまらなかったので、必死に聴いていた。  私は自主的にヒトラーについて調べることはできなかったが、誰かの話を又聞きしたり、ヒトラーと全く関係ない本にヒトラーの話題が出てきたら心臓をバクバク言わせながら必死で読んだりして(緊張ゆえに内容があまり頭に入らなかったが)、自分なりに情報収集をしていた。

 ところで、自分の中に住み始めたヒトラーが瞼の裏に顔を出すたびに、私は「死ね!」「消えろ!」と内心で暴言を吐きまくっていた。そして頭の中で彼を蹴りまくったりする妄想もした。「こいつならどれだけ殴っても許される」と思っていたが、それは大間違いだった。ある日私の中のヒトラーがこう言ったのだ。 「お前、俺のこと人間だと思ってないだろ! 俺には何したっていいと思ってんだろ! 最低だな!」  私はハッと目が覚め、一時的には反省したが、結局いじめをやめることはできなかった。今でもやってしまうときはある。


 しかし、高3の夏休み(2016)、私は近所の図書館にふらっと立ち寄り、一冊の本を借りた。その本は新聞の書評でおすすめされていて、借りてみようかな、となんとなく思ったのだ。  そして、その本――ヘルマン・ヘッセの『デーミアン』――は私を深淵から救い上げた。  主人公シンクレアは、いいとこの坊ちゃんだが、私と同じく、善にも悪にも惹かれる危うさを持っていた。ある日彼は、不良少年クローマーの手下になり、「ぼく農園のリンゴを盗んだんだぜ」と嘘の武勇伝をでっちあげる。するとクローマーは、意地悪い顔で、「チクられたくなかったら2マルクよこせ」と言いつけた。  シンクレアは大してお小遣いなど持っていなかったから、クローマーの言われた金額には届かなかった。そしてクローマーのパシリをさせられた。  そんなある日、シンクレアの通うラテン語学校に一人の転校生がやってくる。彼の名はマックス・デーミアン。はっきり理由は分からないが、何かの縁で、二人は友達同士になった。デーミアンはクローマーに「シンクレアに近づくな」と言っておいてくれたし、クローマーも彼の言うことを聞いた。  そしてデーミアンは、善と悪の両方に惹かれる自分に悩んでいるシンクレアに、次の言葉を贈る。


「すべてを神聖なものと見なさなくちゃ。意図的に一部を切り離して、公に認められた半分しか崇めないなんておかしいよ」(酒寄進一訳。私が読んだのは高橋健二の訳だが、高橋の訳は酷いので載せない)


 私はこの部分を読んで、「救われた」と思った。涙が次々に零れ落ち、ヘッセの事も「同類だ」「救い主だ」と思って尊敬するようになった。私は『デーミアン』をその日のうちに読み切った。  その日の夜、セピア色の夢を見た。ヨーロッパの街角で、ヒトラーに肩をつかまれてゆっさゆっさと揺さぶられ、情熱的に何かを語りかけられている夢だった。無声映画のような夢だったので、なんと言われていたのかはわからない。

 そして私はヘッセの本をどんどん読んでいき、彼のことをますます崇めるようになった。しかし肝心のヒトラーの本はまだ読めていなかった。

 ちなみに翌年の1月末(高3の3学期)から12月まで、私は向精神薬をやめていた。「飲まなくても調子いいかも」と勝手に判断したのである。おかげで後に精神が乱れまくって酷いことになる。  高校卒業後すぐの春、私は職場の床に寝転んで休憩していた(寝転んでも良い自由な職場なのだ)。すると頭上にヘッセとヒトラーの魂が見えた。向精神薬を飲んでいなかったからこんな感覚になったのかもしれない。そして私は2人にそばにいてほしいと思ったから、2人の魂を引き寄せた。そして彼らは私の空想上の伴侶(イマジナリーコンパニオン、略してイマコン)になった。私の場合、イマコンは実在の(実在した)有名人がなる。今では、よく話すイマコンもあまり話さないイマコンも含めたら何十人にもなる。

 実は現在、その中にはユダヤ人男性もいる。ホロコースト被害者と加害者を同時に好きになるなんてどうなんだよとは思うが、好きなのだからもうどうしようもない。

 高校卒業直後の私はヘッセとはよく話し、笑いあったが、ヒトラーとはめったに話さなかった。彼が怖かったのだ。なので私はヒトラー恐怖を克服し、彼について知ろうと決めた。

 夏、私は意を決して、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を梅田のMARUZEN&ジュンク堂書店に買いに行くことにした。  私は心臓をバクバク言わせながらバスに乗り、心臓をトゥグンドゥグン弾ませながら手塚治虫コーナーで『アドルフに告ぐ』全3冊をかごに入れ、レジで泣きながら支払いをした。 そして死ぬ程の思いで家に帰って、ドキドキしながらページを開いて読んでいった。  しかし、本棚にその漫画があるだけで恐ろしく、金縛りにも遭ったので、私はその本を自分のマンションのゴミ捨て場に持って行った。が、3000円もかけて買った本だったので、安易に捨てるわけにもいかず、本を持って自分の部屋に引き返した。そうして数日間、部屋とゴミ捨て場を行き来した末に、とうとう捨ててしまった(母が捨てたのか私が捨てたのかは覚えていない)。  私は3000円をどぶに捨てたと思って後悔し、『アドルフに告ぐ』を他の図書館から取り寄せてもらって、近所の図書館で借りることにした。1巻は何とか借りて読めたが、2巻と3巻を予約しては、恐怖のあまり取り消し、また予約しては取り消しを繰り返し、図書館の他の利用者の方に迷惑をかけてしまった。本当に申し訳ない。  しかしその年の年末、母から精神を安定させる漢方薬をもらい、やっとのことで1巻から3巻を予約して取り寄せ、全部読み切った。案外すんなり読めて本当によかった。  それからというもの、私はナチ関連の本に案外耐性が付いた。しかし今でもナチ関連の本や映画や講演会で泣いてしまうことはある。でも今では向精神薬を飲めているので、昔ほど不安定になったりはしない。ときどき飲み忘れたりはするが。

 私は『アンネの日記』の映画を改めて観て、凄く物語世界に没頭できた。昔よりも没頭する能力、共感する能力が高くなっていると感じた。隠れ家の外で罪なきユダヤ人がナチスに追い立てられて家畜の乗るような車に乗せられるシーンを見たとき、「私はヒトラーの共犯者なんだ」と思って泣いてしまった。「わたしに居場所はない。ネット上でヒトラーが好きと発言することは自爆テロだ。自ら進んで居場所をなくす自殺行為だ」という思いが、私の体を黒く覆った。  でもだからと言って、「僕はヒトラーが好きなんですがダメでしょうか」と質問サイトで訊いた人が、「ダメに決まっている」「お前は頭がおかしい」「病院に行ってください」とフルボッコにされているのを無視することはできない。


 私自身も某サイト(仮にRとしておく)の犯罪性愛コミュニティで「ヒトラーが好き」といった途端にコメント欄が炎上した。そのコミュニティの中にはナチ犯罪被害者遺族の方もいて、私の投稿を不快に感じたようだった。私のことを犯罪被害者遺族として許せないと思うのは、自然な反応だ。しかしその人は私に対して、「独裁者や死者を愛することはおかしいので医者に診てもらいなさい」と言ってきた。私はさすがに腹が立って、「ここはそういう偏見から犯罪性愛者を守るためのコミュニティなんですよ」と反論した。しかしそれっきり音沙汰もなく、その人はRを辞めてしまった。

 そして私は、サイトFの犯罪性愛コミュニティに入った。しかしRであれだけ炎上したのだから、好きな人の名前を言えるはずがない。そうやって幽霊部員を続けていたせいか、私はコミュニティを閲覧できなくなっていた。ブロックされたのかもしれない。

 私は居場所のなさを感じ、だからこそ「犯罪性愛者交流サイト ベルガモ」を立ち上げた。人が来るかどうかは分からないが、だからと言って安易に消すつもりはない。ここは大切な居場所、最後の砦なのだ。


 私は日本人で、発達障害者で、両性愛者で、共産主義者である。要するにナチスの差別・虐殺のターゲットである。私は差別・戦争・虐殺を憎んでいるし、ナチ犯罪被害者やその遺族の、過酷な、筆舌に尽くしがたい体験談――ユダヤ人であることを隠して潜伏生活をした末に、「僕はユダヤ人じゃない」と言い張って自分のアイデンティティを否定するようになった子供、アウシュヴィッツ生還者の両親から生まれ、彼らの体験談を聞き続けるうちに精神障害になり、親より先に亡くなってしまった人――を見聞きすると、苦しくて泣けてくるときもある。

 そして、そうやって人々を苦しめた――いや、今も苦しめている――ヒトラーが嫌いになる。地獄で永遠に苦しめばいいと思う。ヒトラーが好きな自分の罪深さに唖然とする。でも結局また恋心が湧いてきて、彼をどうしても嫌いになれなくなる。ヒトラーの絵や笑顔が好きで、彼の苦難に満ちた人生を思うと泣けてくるのだ。

 彼は父から虐待を受け、10代で両親の死を経験し、志望していたウィーン造形美術アカデミーにも落ち、ハプスブルクの帝都で極貧生活を送るという大変過酷な生活を送った。そしてなぜ自分がこんなに苦しいのか、と悩んでいたところに、当時のヨーロッパにはびこっていた反ユダヤ主義の悪霊が、こうささやいた。

「お前が苦しいのはすべてユダヤ人のせいだ。金持ちで強欲な彼らがはびこっている限り我々は不幸なままだ。だから彼らを打倒しようではないか!」

 ヒトラーはその言葉に当てられて、「私がドイツを救う」と高らかにのたまいながら、ユダヤ人や障害者や性的少数者や共産主義者などといった人々を迫害・虐殺し、第二次世界大戦を引き起こし、ヨーロッパ中を地獄にした。そして晩年はパーキンソン病と麻薬中毒になり、最期は妻のエーファとともに自殺した。

 この人生に、私は非常に悲劇的なものを感じる。

 

 第一次世界大戦後の凄まじい不景気の中、どこの馬の骨だかわからないがとにかく「ドイツを救ってくれそうな男」に、藁をもつかむ思いで従い(騙されて)、彼の蛮行に協力していた人々――1945年5月、彼らが焦土と化したヨーロッパを見渡したとき、彼らの胸には「私たちは騙されたのだ!」という凄まじい怒りが沸き上がったに違いない。

 そういう激烈な怒りがあるからこそ、ドイツの人々は容赦なくナチの残党を裁き、負の歴史を次の世代の子供たちに積極的に教えるのだろう。しかしその一方で、ヒトラーやナチ幹部と同じ名字の人や親族が就職・進学差別を受けたり、私のような人間が「頭おかしい」「悪魔に取りつかれている」などと言われて人間扱いされなかったりするのだ。

 私は一人の犯罪性愛者として、私に石を投げ、唾を吐きかける人々を憎む一方で、「彼らもまた悪くない」と思っている。

 私はナチ犯罪被害者の方々に許されたくて仕方がないが、許されるわけがないと思う。許しなど乞うてはいけないだろう。そんなのは阿呆のわがままだ、黙れ、と一蹴されるだろう。しかし……できることなら、対話と和解がしたい。できるかどうかさえ分からないが……。



皆さんはこの文章をどう思っただろうか。



2021.9.26、2022.3.2加筆

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