差別障害研究会(ネトウヨ研究会)設立宣言に対するA氏の抗議の声への臨夏の対応
- 恵琳
- 2021年12月15日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年1月3日
私は差別障害研究会(ネトウヨ研究会)設立宣言を別サイトにも載せたのだが、そのときにAという友人から激しい抗議を受けた。この記事はそれに対する臨夏の反論である。
差別障害研究会(ネトウヨ研究会)設立宣言はこちら
(差別障害研究は)通常の見方の背景を読み取る、新しい社会分析なんです。 ゆっくり考えていきたいです。人の社会性、人生、気持ちは、今の自分の了見を焦って押し付けても解けないです。 失礼ながら、Aさんには、そういう点があると思います。これは、ぼくも全く似ているんです。正義は、自分の専売特許ではない、というぼくなりの、反省ですわ。 勉強会、ご一緒しませんか?
二点あり、 まず恵琳さんは単なる主体的差別者ではない、病的な差別者を問題にしています。そういう方々は、僕たちには馴染みがないけど、実際にいます。ぼくも話を聞くまで知らなかった。 二点目、 それほどでもなくても、ぼくでも、自分でも嫌なのですが、つい差別をしてしまう。 これは、懺悔して済むならしますが、しても差別問題は解消しない。 差別は「主体的こころ」だけの問題でなく、「背景の社会」の問題が大部分。 実際、ぼくはあまり差別をしない方と思うから、なんで差別があるのかわからない。だから、杉田やネトウヨが全く理解できなかった。最近、この新発想で、なんか見えてきた。あいつらも、虚勢張ってるが、内心苦しんでるのではないか? ただの悪人なら、懲罰加えたいが、まあ一歩引いて落ち着いて考えませんか。
杉田やレイシストは、あなたではない(もちろんわたしでもない)から、簡単には判断できませんよ。 また、レイシストも多様です。あなたの分析に当てはまる、ただの怠惰な悪人も、おるのかな? しかし、大多数そうかな。 差別障害者は、少ないけどいます。 そしてぼくは、差別において素直な個人の責任も否定しないけど、社会問題が、背景に広がっていると思う。そう考えないと話しがあまりに不思議です。 つまり、(ネトウヨみたいな)バカが多過ぎないか? また、個人の責任やとしても、謝らせること自体困難やし、謝らせても恨むだけで差別は無くならないし、責任もとらせようがない。痛くして苦しめますか?しかしこれは、教育刑の思想ではない。 ただの差別反対は、ある意味主体性論、観念論ではないですか?
しかし、読んでみて、あなたの考えも、なるほどなあ!と思いますよ。 ややこしく考えるわたしが観念論なのかもね。 はじめ、ぼくこそあなたを理解しないで失礼なこと言いました。
恵琳の用語、言葉遣い(差別障害という言葉の是非)については検討します。 ご助言ありがとう。
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