軽蔑と憎しみ
- 恵琳
- 2021年10月3日
- 読了時間: 4分
当然だが、マイノリティの中でも道徳的に劣っている人と優れている人がいる。例えばここに悪人Aと善人Bがいたとする。二人とも同じマイノリティだが、私はAよりBの方により邪悪な感情を抱くだろう。
AもBも、私が見下している属性を持っているが、Aは悪人なので軽蔑するだけだ。もしかしたら犯罪性愛の気質も関係あるかもしれない。悪人だから親近感が湧くというわけだ。
しかしBは善人なので、軽蔑心と相まって「私の見下している人間がなぜ道徳的に優れているんだ!」と憎しみが湧いてしまうのだと思う。
『人がいじわるをする理由はなに?』(ドゥニ・カンブシュネ/文、ギヨーム・デジェ/絵、伏見操/訳 岩崎書店)という子供向けの哲学書によると、軽蔑と憎しみには次のような違いがあるらしい。
軽蔑→相手に無関心。執拗に傷つけたいとは思わない。
憎しみ→相手に関心あり。執拗に傷つけたいと思う。
性格の悪いマイノリティには、軽蔑しているのに親近感が湧く……信じがたいが、私の中ではそういう感情の動きがあるようだ。まだまだ細かい分析が必要かもしれないが。でも今言った細かい分析というのは、もしかしたら自分の信じたい答えを導き出すための恣意的なものかもしれない。今はこのくらいにしておこう。
被差別者の中に自分より優れた面を見つけると腹が立ってしまうのは、人として最も恥ずかしいことだ。
また、私は自分で自分を差別・軽蔑していて、強い憎しみを抱いている。他人から「優しいね」「賢いね」と褒められると、もう一人の自分が「どういうこっちゃねん! こいつは差別しよるやないか! 全然優しないわ! 頭だけはええというわけやな!」と執拗に言ってくる。でも表面上では「そうですか。ありがとうございます」と褒め言葉を受け取っておくのだ。
もう一人の自分に告ぐ。なぜ頭がいいという事を否定しないんだ。私を叩くのが生きがいのくせに(笑)私ってナルシシストやね(笑)
私は生まれつきいじわるや軽蔑・差別をしやすい気質なのだと思う。プロプラノロールという薬で治したいと強く思う。しかし人間の性格を変える薬=洗脳薬はなんだか怖い。
もしかすると、その薬を飲んだらヒトラーの気持ちが分からなくなって、彼の人生を描く小説も書けなくなるかもしれない(私はいつかヒトラーが主人公の小説を書きたいと思っている。うまく書けるかどうかわからないが)。まあ邪念がなくなって生きやすくはなるだろうけど……。
どんなにマイノリティと交流して、「彼らも私と同じ人間だ」と実感しても、彼らを見下す感情が消えてくれなくて本当に困っている。これは脳障害のような気もするが、精神科の主治医はそれを否定した。「そういう感情は誰にでもある」と言って。
確かにそうだが、そういう感情は人によって強弱があって、それが特に強い人は「障害者」と認定してケアの対象にするのもありではないだろうか(プロプラノロールを投与するべきかどうかは分からない)。
でも差別主義者が差別をした時に「俺障害者なんで許して下さい」などと言って障害を免罪符にするのには大反対だ。差別も含め、悪い事をした時に許しなど乞うてはならないと思う。柳美里さんが下のリンクで言う通り、「ごめんなさい(免じてください、許してください)」と言ってはならない。だから私は「ごめんなさい」の代わりに「すみませんでした」「申し訳ありませんでした」と言う。「すまない」「申し訳ない」という言葉の中に、「許してほしい」という甘えや自己正当化は見当たらないと思うからだ。
ブログ『柳美里の今日のできごと』2020年07月11日 15時21分00秒の記事
「嫌いなこと、嫌いな言葉」
自閉症だって同じだ。私たちは皆程度の差こそあれ、急な予定変更を嫌うし、大きな音が苦手で、精神が不安定になるとパニックを起こす。言ってみれば私たちは皆自閉症なのだ。その中でも特にそういう症状の重い人たちが「障害者」と認定されてケアを受けているというだけの話だ。
差別者のケアは、被差別者のケアと同様、全世界を挙げて取り組むべき課題だ。
私は日々「差別心が消えてくれない!」と悩んでいるが、本来は、差別心を消そうとするからいけないのだと今思った。気に入らない部分も自分の一部として受け入れることができればいいなと思う。凄く嫌だけど、そういう反応こそ不寛容なのかもしれない。
ヘルマン・ヘッセも『荒野のおおかみ』(高橋健二/訳 新潮文庫)という作品の中でこう書いている。
「君の世界を狭くし、君の魂を単純化するかわりに、君はいよいよ多くの世界を、しまいには全世界を、君の痛ましく拡大された魂の中に受け入れなければならないだろう。君がいつか終りに、安らかさに達するためには」
ヘルマン最高! Danke schön! 久々にあの神聖な感覚を思い出した!
私の中のヘルマン曰く、「うふふふ。たまに読み返してね」と。私の中のヘルマンちゃんは女言葉でしゃべるのだ。本当にかわいい妖精のようなイマジナリーコンパニオン(空想上の伴侶。略してイマコン)である。
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