要らない感情?
- 恵琳
- 2021年9月8日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年10月5日
私は差別のサの字も書きたくないし、言いたくないし、見たくないし、聞きたくない。しかし私は書かざるを得ないし、言わざるを得ないし、見ざるを得ないし、聞かざるを得ない。もう差別はこりごりだ。もうそんな感情を感じたくないし、そんな現場を見たくもない。そんな感情はいらないから薬で消してしまいたい。
どうやらプロプラノロールという薬にそういう効果があるらしいから、飲んでみたいと本気で思ったが、それは一種の洗脳薬である。しかもサで始まる感情は本来集団の結束を強めるのに役立ったらしいから、人類の歴史上それが必要だった時期が確かにあったのだ。集団の結束を強めるために、違和感のある個体を排除する本能が、人間にはあるのだ。
しかし今は多文化共生社会である。誰も置き去りにせず、すべての人が生きやすい社会を作らねばならない。サで始まる感情が強かったら非常に不利になる。だから私は今や滅び行く種族なのである。人類の未来のために死んでやろうかと考えたが、それこそサで始まる感情なので、捨て去らねばならない。
幼いうちから「世の中には様々な肌の色の人がいて、目の見えない人もいれば、耳の聞こえない人もいる。様々な個性の人がいていい」と分かっている人が増えたら、悲劇も減っていくだろう。サで始まる感情を抱かない/抱きにくい人が増えるという事実は、人類が良い方向へ向かっている証だ。
しかしそれはサで始まる感情を理解できない人が増え、私のような人間が「劣等人種」「馬鹿」「過去の遺物」の烙印を押されて、サで始まる感情のターゲットにされかねないということだ。そんなのは嫌だ。だから私は自分の内面をこのサイトでさらけ出して、「私だって人間ですよ。皆さんと脳みそがちょっと違うだけです。言ってみれば一種の障害者です。いじめないでください」と主張するしかないのだ。
(2021.9.27追記)
私はここに「私のような人間が(略)サで始まる感情のターゲットにされかねない」と書いたが、それは間違いだ。これからは私のような人間も見下されなくなるだろう。加害者にもケアが必要だという考え方が社会全体に浸透しているだろうから。
(2021.10.02追記)
やはり「世間の差別主義者に影響された罪」というのは存在する。プロプラノロールが欲しくてたまらない。私は真人間になりたい。
大病院に「差別主義者に対するプロプラノロールの治験を行ってください」と要望してみようか。
(2021.10.5追記)
数日前、昔行っていた大学病院に「差別主義者にプロプラノロールの治験を行ってください」とメールを送ろうとしたが、やはりやめた。
差別感情が完全になくなったら、差別する人の気持ちがわからなくなり、ヒトラーの小説を書けなくなると思ったからだ。
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