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自力と他力

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2021年12月17日
  • 読了時間: 4分

 私はさっきスマホで、とあるユダヤ人男性の写真が映った音楽動画を見ていた。写真の中の彼は横を向いていて、私から目を背けているように見えた。「ヒトラーが好きなお前なんか大嫌いだ」と言わんばかりに。私はその人の事が好きなので、嫌われたのが辛かった。私は泣きながら内心で「私たちは歴史にがんじがらめにされている。ショアの歴史さえなければ私たち仲良くできるのにね」とつぶやいた。

 すると彼は「ヒトラーさえいなければ」と言った。「ヒトラーさえいなければ、ショアも起こらなかったし僕の先祖も苦しまなかった」

 私は自分の好きなヒトラーが生まれてきたこと自体が罪だと言われたような気がして、めちゃくちゃ辛くなってさらに泣いた。そうこうしているうちに動画は終わった。

 私はもう一本別の動画を見てから、眠りについた。


 先ほどのユダヤ人男性は私の中にイマジナリーコンパニオン(空想上の伴侶。略してイマコン)として存在している。実はヒトラーもそうだが、その時ヒトラーは出てこず、そのユダヤ人男性のイマコンと私だけがいた。

 彼は泣きながら「ヒトラーはいつ間違えたのだろう。いつどこで違う選択をしていれば、彼は独裁者にならずに済んだのだろう」と悩んでいた。なので私も一緒に考えてみた。

 まず思いついたのは、「ヒトラーの母がDV父と離婚して子供を連れて逃げられていたらよかった」という答えだ。しかしどうやらヒトラーの母はヒトラーだけを溺愛していたらしく、彼女もまた良い親とは言えなかったようだ。だからどっちにしても同じか、あの両親のもとに生まれた時点で全部決まっていたのか、と思ってしまったが、イマコンのユダヤ人男性が「そんなことない」と制した。「人間には自由意志があるからね。最初から全部決まっている訳じゃない。人生は自力で変えられるんだよ」

 私は「そうか」と答え、考えの浅さを反省した。

 その時、最近脳内でずっと流れているヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター(Van Der Graaf Generator)というイギリスのバンドの「ダークネス(Darkness)」という曲が流れてきた。私はもし将来ヒトラーの人生のアニメが何部作か作られるとしたら、この曲を、例えば3部作のうちの1作目か2作目あたりのエンディングにしたいと勝手に思っている。

 しかし曲の最後に「どうか責めないでくれ、これから堕ちていく運命は俺が選んだわけじゃない」という歌詞が出てくるので、これは一部の人が「ヒトラーやナチ戦犯がショアの責任を回避しようとする歌」とも解釈するかもしれない。なので迷っている。でもメロディーは非常にいい。動画はこちら。


 ヒトラーはどうしたら独裁者にならずに済んだのか。その答えははっきりしない。でもとりあえず言えるのは、ヒトラーは自力だけで独裁者になったわけではないという事だ。

 この世には自力(自分の力)と、他力(他者や社会や神の力)がある。ヒトラーは支持者や、強いリーダーを求める社会や、政治献金といった他力によって動かされていた面もあるのだ。


 ところで、私は今ソポクレスの書いたギリシア悲劇『オイディプス王』(岩波文庫)を強烈に読みたいと思っている。ヒトラーの人生は上昇に見せかけた没落、悲劇であった。そしてこの悲劇の主人公オイディプスも同じである。

 悲劇はこういうあらすじだ。


「父を殺し母と交わるだろう」というお告げを受けたテーバイの生まれたての王子オイディプスは、山中に捨てられるもコリントスの王に拾われ、コリントスの王子として育てられる。ある時彼は周囲から「お前は王の実の子ではない」と言われ、デルポイの神託所に出かけて伺いを立てる。すると神は「そなたは父を殺し母と交わるだろう」と彼に告げた。彼は「父」をテーバイ王ライオスでなくコリントス王と誤解し、父を殺すことのないようにコリントスの隣国テーバイに向かう。

 その時ライオスは、テーバイに現れた怪物スフィンクスへの対処法を神に尋ねに、テーバイからデルポイに向かっていた。その時オイディプスと遭遇。オイディプスは目の前の老人を父ライオスとは知らず、老人から侮辱されたことが発端となって相手を殺してしまったのだった。そしてオイディプスはスフィンクスを退治し、テーバイ王となるが、その妻こそ、彼の実の母イオカステだったのであった。


 この物語では、オイディプスは予言の実現を「自力」によって避けようと懸命に努力したが、「他力」すなわち「神の力」が容赦なくそれをはねのけた。この世にはどんなに頑張っても避けられない運命があるのだ、とでも言うように。

 それでもなお、人は抗う。他力がすべてではないからだ。ずっと前人づてに聞いた言葉だが、「宿命は変えられないが運命は変えられる」のだ。


 ところで連れ合いは「人間一人一人の中に神がおる。俺ら一人一人が神なんや。せやから社会が神なんや」と言っていた。これは私なりに解釈するなら、「人間一人一人の中に神(善なるもの)がある。私たち一人一人が神だ。人間一人一人が社会を作るから、社会こそ神である」という事になる。

 先ほど「他力とは神の力だ」と書いた。とすると私たち一人一人が他力を使っているという事になる。自力も他力のうちなのだ。

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