私は案外ユダヤ的?
- 恵琳
- 2023年2月7日
- 読了時間: 4分
※この文章は2022年12月30日にこのブログに掲載されましたが、筆者が一時的に非公開にしたものです。
「私がナチヲタを名乗ること自体がユダヤ人への加害なのに、そんな私が『私は案外ユダヤ的?』などという記事を書いたら、ユダヤ人の人たちは傷つくのではないか。『お前はただでさえ私達を傷つけているのに、何が「私は案外ユダヤ的?」だ! 敵のくせにふざけんな!』と思われるかもしれない」と思ったのです。
しかし、それはちと考えすぎかもしれないなと思うので、再公開します。
非公開にする際にコメントが消えてしまったので、コメントのスクリーンショットを末尾に貼付します。
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ロジャー・パルバースと四方田犬彦の対談集『こんにちは、ユダヤ人です』(河出書房新社)を読み返したら、自分が案外ユダヤ的な感性の持ち主であることが分かって嬉しかった。
ユダヤ人も私も、自分のことを開けっ広げにさらけ出す。ユダヤ人は自分のことをさらけ出して相手に分かってもらうことで、生き延びようとした。
私が自分をさらけ出すのは、単純に言いたいことを言えないのが苦しいのと、他人に自分のことを分かってほしいからだ。自分を開けっ広げにしないことも生存戦略だが、開けっ広げにすることで仲間を増やしたいという思いもある。
また、ユダヤ系アメリカ人のコメディアン・グラウチョ(グルーチョ)・マルクスの言葉「ぼくを入れてくれるようなクラブには、僕は絶対に入らない」にも、私はいたく共感する。
「このクラブにあなたを入れてあげますよ」
「え? マジですか? 私なんかを入れてくれるなんておかしくないですか???」
こんな感じ。
あと、ロジャーさんは「自分のことではなくて相手の苦しみや悲しみ、相手の幸せを先に考えるのが本当のユダヤ人だと思いたい」と言っている。
私は元彼が脳内の悪魔に取り憑かれてう唸りだしたら、自分がどんなに疲れていても、両手で彼の両耳を押さえて落ち着かせてあげた(彼は両耳を押さえられると落ち着くのだそうだ)。
そしてそうすると必ず元彼は、「ありがとう。あんたは優しいなあ。俺も優しくせなあかんわ。俺はあんたが隣で泣いてても何も感じひん。ごめんな」と呟くのだ。
元彼にはDVや洗脳の被害を受けたが、悪いことばかりではなかったし、懐かしい思い出もある。でも復縁は絶対嫌だ。
私はヒトラーを好きな反ナチナチヲタである。ユダヤ人にネット上で「独裁者や死者を愛するのはおかしいから病院に行け」と言われたこともあるが、そんな私が案外ユダヤ的だと知って、すごく嬉しいし、安心している。
また、アマゾンの『こんにちは、ユダヤ人です』のレビューに、こんな素晴らしいものがあった。
「右派を執拗に攻撃し,在日外国人などを擁護する彼(四方田犬彦)の心性は(その思想が正しいか否かは別問題として)容易に逆の方向に転換しうる。そのような人間の恐ろしさに対する感度こそが,本書のいう『ユダヤ的』な感性ではないのか。だから四方田は本当は『ユダヤ人』ではないと思う」
元彼はネトウヨや反ワクチン派を執拗に攻撃し、喧嘩することが大好きな暴漢だった。だから彼も四方田氏と同様、ユダヤ人ではないと思う。
あと、ナチ戦犯を叩いて楽しむナチヲタたちも、ユダヤ人ではない。彼らは非常にナチ的だ。
私はヒトラーを叩いて楽しむことからはもう卒業した。私の中のヒトラーが、彼をいじめて楽しむ10代の私にこう言ったのだ。
「お前、俺のこと人間だと思ってないだろ。お前、俺には何したっていいと思ってんだろ。最低だな!」
あれはもちろん本当のヒトラーの声でなく、私の良心の叫びだった。
私の中にヒトラーへの情けがあってよかった。神仏に心から感謝する。
しかし自分を叩いて楽しむ癖はまだ治っていないので、治ったらいいな、治していけたらいいな、と思う。
最近はユダヤ人に対して親近感を抱けるようになってきており、嬉しい変化だ。
(*^^*)
追記
まあユダヤ人といっても色んな人がいるから、弱者に冷たい人も、自分のことを隠す人もいるだろう。「ユダヤ人=〇〇」と決めつけることはできない。申し訳なかった。「民族性」ってあるのかないのか分からない……。

コメント
ほとりさん、コメントありがとうございます。 レオポルド2世とは、コンゴを植民地支配し、現地の黒人を奴隷労働させていたベルギー国王のことですか。 世界史の窓「レオポルド2世」 https://www.y-history.net/appendix/wh1402-005.html マリー・アントワネットの兄で、フランス革命時に王政復古をしようとしたオーストリア皇帝もレオポルト2世(ドイツ語ではLeopoldのdは単語の末尾に来ているため「t」と発音します)ですが、その人とは違いますか。 どちらかは分かりませんが、私はレオポルド2世も毛沢東もポル・ポトも嫌いですし、興味がありません。 ヒトラー以外に好きな独裁者は……いません。 ちなみに犯罪者であれば永山則夫さんや山上徹也さん(英雄です)が好きですし、興味があります。 永山さんが人を殺したことは許されませんが、母親に育児放棄をされた悲惨な過去には同情しますし、獄中で勉強して小説を出すに至るという精神的成長を遂げたのは尊敬します。 山上さんは独裁者安倍を殺した英雄で尊敬できますし、カルトに搾取された悲惨な過去には心から同情します。 永山さんの著書『無知の涙』『木橋』や、山上さんをモデルにした映画『REVOLUTION+1』は、生きているうちに読みたいですし、観たいです。 なぜ独裁者・暴君の中でヒトラーだけが特別に好きで興味があり、それ以外のレオポルド2世や毛沢東やポル・ポトが嫌いで興味がないのかは、よく分かりません。 ちなみにヒトラーと同じナチ戦犯であるヒムラーやゲッベルスやゲーリングにも興味がありません。 毛沢東やゲッベルスたちについてあまり深く知らないから、好きだという感情が湧かないのかもしれません。 まあヒトラーについて深く知っているかと訊かれたら「いいえ」と答えるしかありませんが。 何はともあれ、ほとりさんと出会えて良かったです。安倍が暗殺されたのも本当に良かったです。 良いお年をお迎えください。 またお会いできたらいいなと思います。
ヒトラーは物事への「好悪」の激しい人間だったと聞きます。 好きなものを礼賛し、嫌いなものを糾弾する。そうした理想や憎悪への積極的な表現力、行動力こそが何かを排除したり虐殺を行う活動家や独裁者の素養であるのは間違いありません。どこかで思想が転向しても、その好悪の強さと活動力には変わりがないでしょう。 一方でそういう「パワーのある人間」を支えるのは、それほど物事への好悪が強くもなく、なるべく中庸かつ凡庸で目立って行動を起こしたくもなく、「仕事だから」とあらゆる選択を社会に委ねる「凡庸な」人々でもあったでしょう。 ナチ党のような暴走はいつどの集団でも起こしうるし、古今東西起きてきました。 ヒトラーと並ぶ犯罪者はいくつかいます。レオポルド2世(こいつは史上最も罪が重い犯罪者だと思う)や毛沢東、ポル・ポトも好きですか? 恵琳さんに会えたことは、安倍晋三が殲滅されたことと並ぶ今年最大のトピックでした。 お互い今年も生き延びましたね。 来年も共に生きていきましょう。