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私の邪念は本物か

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2021年8月26日
  • 読了時間: 2分

 以前私は「犯罪性愛者の2つのタイプ」という記事の中で、「私はグル型(犯罪賛美する犯罪性愛者)とベル型(犯罪賛美しない犯罪性愛者)の両方だ」と書いた。そして、「頭の中に犯罪賛美や犯罪者崇拝の気持ちが勝手に湧いてくる」とも書いた。

 本心でもないのに、不謹慎な考えや言葉、「悪い事がしたい」という衝動が勝手に浮かんでしまうのは、「強迫性障害」の一症状「不道徳強迫」である。例えば私は、芸能人が死んだとニュースで知ったら悲しくなる。しかしその時頭の片隅で「死んでくれてよかった」などと言う不謹慎な言葉が自動的に浮かんでしまう。これが不道徳強迫である。

 私はこの不謹慎な考えや言葉を「深層心理であり本心ではないか?」と思い悩んでいたが、同じく不道徳強迫の症状のあるツレがその説を否定してくれて助かった。素晴らしい伴侶である。

 しかし私の中にマイノリティへの差別心があることは事実である。しかし差別が悪であることは分かっている。本当に悪い差別主義者は、反省も批判もしない。よって差別を悪とも思わない。むしろ正しいものと信じて推進する。「主義者」とは「特定の考えを正しいと信じ、それに従って生きる人」のことである。だから客観的に見て、私は差別主義者でないといえる。

 しかし、「あなたは差別主義者でない」と言われたら違和感がすごくある。「差別主義者お断り」と書かれた店があったら、私は絶対入れない。そのことをツレに言ったら、こう返された。

「よう言うわ。恵琳は差別を悪と分かってても、どうしてもしてしまうんやろ? それは障害や。恵琳は差別主義者みたいに積極的に差別してるわけやないやろ? せやったら大丈夫や」

 しかし私の中には「差別したい」というどす黒い気持ちが根強くある。ツレは「それも障害や」と言った。そうか、私は障害者なのか、だから私が差別をやめられないからと言って自分に「死ね」というのは、障害者差別なんだな、やめなきゃな、と思った。

 しかし差別主義者が自己正当化の為に「俺障害者だから差別しちゃうのは仕方ないんです」などと言うのはもってのほかだ。差別をしてしまう障害を抱えているからといって、差別心をなくしていくための努力をしなくていいはずがない。

 私は差別心をなくすために、デモに行ったりマイノリティと交流したり勉強したりして、日々自分で自分を教育している。これはすべての人がすべきことだ。できるだけ多くの人に、私たちの反差別・反戦平和・反政府・反資本主義運動に協力してもらいたい。

 
 
 

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