私の差別症状
- 恵琳
- 2022年1月13日
- 読了時間: 2分
私は外国人や障害者などのマイノリティを見かけたとき、目つきがきつくなり、体が強張る。そして彼らをちらちらと見たり、逆に視界に入れなかったり、避けたいと思ったりする。マイノリティと握手したときは手を拭きたくなってしまう。これは完全に「差別症状」というべきものである。
また、内心差別している人を相手に、自ずと「バカにしてんのか」だのとキツめの言葉が出てしまう時もある。自分も外国に行ったら外国人だし、発達障害があるくせに、外国人や障害者(特に自分より障害の重い人)を悪く思ってしまうのだ、彼らが彼らであることを理由にして。外国人であることや障害者であることは何も悪くないと頭では分かっているのに、体が納得しないのだ。
こういう症状を変えるには頭に訴えても仕方がないので、「差別しない体づくり」が必要だ。マイノリティと付き合い、難民支援ボランティアや識字日本語教室の学習パートナーを経験し、自分が差別している人も自分と同じ人間なのだと「腑に落ちる」体験をすることでだんだんと治ってきた。まだ完治はしていないが。
しかし「差別者はマイノリティと付き合うな」「差別者は自分の差別心の克服のためにマイノリティを利用するな」という意見もあって当然だと思う。自分を虐げる側の人間と付き合いたくないのは当たり前だし、差別者に利用されたくないという気持ちも尊重されるべきだ。
しかしそういう態度は差別者と被差別者の分断を生んでしまうのではないか。しかも被差別者が絶対に差別をしないという保証はどこにもない。
しかし私はこういう差別心の告白によってマイノリティと縁を切られて当然だと思うし、社会運動に支障をきたすのではないかという恐怖で体が硬くなっている。どうすればいいのか。
差別するのは社会の影響である。だから最初から社会に差別がなければいいのだ。だから私は、仲間と縁を切られる恐怖におびえながら、難民支援を通じて入管解体を目指す。大阪弁を話すことで方言や少数言語(方言も少数言語である)の権利を主張し、東京語(標準日本語)中心主義や英語中心主義と闘う。そして現代の貴族制度たる天皇制と、世界に不平等を固定する資本主義を終わらせるのだ。
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