私のB型事業所遍歴
- 恵琳
- 2023年2月5日
- 読了時間: 4分
ASDとADHDの当事者である私は、支援学校高等部卒業以来、障害があってなおかつ一般就労の難しい人向けの仕事場である「就労継続支援B型事業所(略して「B型」「就B」)」というところに通ってきた。過去に通ったが合わなくて辞めた事業所がたくさんあるので、今回はそのうちの3つに関するエピソードと、今行っている事業所の話を書く。
◎事業所A(古本販売)
事業所Aは職場内のジェントリフィケーションを怖いほど徹底していた。
(ジェントリフィケーションとは、本来は釜ヶ崎などの貧困地域の環境改善、再開発による高級化・上位化という意味だが、ここでは「お上品であることを要求すること」という意味で使う)
スタッフさんに「彼氏(要するにDV元彼)にラブホでケツアナを舐められた」と相談したとき、「ケツアナ」という言葉に対して「もっと別の言葉で表現してくれない?」と言われたし、何かにびっくりしたときに「えー!?」と少し声を荒らげただけで「大きい声を出さないでください」と言われた。
動揺したときや精神が不安定になったときなどに大きい声を出すせいで、事業所Aがやっている古本屋には原則出禁になった。他の利用者との摩擦を避けるために、私は1人で個室にこもって、スリップ(本の題名や値段が書かれた細長い紙)に本の情報を書いてページに挟みこんだりといった裏方の仕事をしていた。
あそこでは「お上品であること」を怖いほど徹底して求められたから、居心地が悪かったのだと今気付いた。
◎事業所B(ペットショップ)
昔行っていた事業所Bが熱帯魚レンタルを始めている、と今の事業所の所長さんから聞いて恐ろしくなった。こんなん「ネコホーダイ」と一緒やん。動物のレンタルって動物が色んなとこに移動させられてめっちゃストレスかかるねんで。私「ネコホーダイ」に反対するネット署名キャンペーンに賛同したよ。
その他にも事業所Bには嫌な思い出がある。ショーウィンドウに「この魚は障害あるので値引きします」という旨のことが書かれていて、「優生思想や!」とドン引きした。もうあそこには二度と行きたくない。トラウマだ。
◎事業所C(織物工房)と地域活動支援センターD
事業所Cでは、私はスタッフから虐待された。私が独り言で「死にたい」と言ったら、スタッフの一人が「死んで」と言ってきた。
また、事業所Cで私は結構精神的にしんどくなって叫んでいた。しかしそこには視覚障害者の方が結構来ていた。目が見えない分耳の敏感な彼らにとって、私の叫び声は晴眼者以上に苦痛だった。
それで私は事業所Cに行けなくなり、事業所Cの所長の友人が運営している地域活動支援センターDに行くことになった。
地域活動支援センター(地活)とは、障害のある人が創作活動やレクリエーション活動などをする事業所、らしいが、ややこしくてあまり良く分からない。ほとんどの場合工賃≒給料は出ない。
そしてDでも、Dの所長から「そんなに死にたいなら精神病院行けば? 殺してくれるよ」「決められた時間に起きて、決められた時間にここに来て、決められた仕事して、決められた時間に帰って、決められた時間に寝られないあなたみたいな人は、社会の底辺に据え置かれる」と言われたり、事業所Cの所長から「私があんたの親ならあんたを幼いうちに殺している」と言われた。
私が朝8時までにDに出欠連絡をせず、「行く」と言っているのに行かなかったり、「行く」と言ったり「行かない」と言ったり、言を左右にしたのが、彼らの癪に障ったようだ。私が彼らに迷惑をかけたのは申し訳ないが、私も相当無理をして通っていたのだな、早く辞めればよかったな、とも思う。こんな酷い人たちがやっている事業所だしね。
事業所CとDを辞めたあと、私は2つの事業所がある市の役所に虐待の件を通報した。そして後に母が役所の人から聞いたところによると、2つの事業所はペナルティを受けたという。どんなペナルティかは明かしてもらえなかった、と母は言った。
そして私は、事業所Cに週1日しか行っていなかったので、どうやら「工賃をもらう資格」を満たせなかったようだ。なので事業所Cで働いた分の工賃は一切もらっていない。私も色々な織物を織って完成させたのに、その売上は全くもらえていないのだ。クリエイターに対する侮辱である。
◎事業所E(内職作業)
今行っている事業所Eは事業所Aほど「お上品であること」を要求しないから性に合う。ちなみに最近はチラシ折りばかりやっているが、案外楽しい。昔から折り紙が大好きで得意だったので、性に合っている。
最近は在宅ワークをすることが多く、事業所のスタッフさんと利用者さんがせっかく私のために作ってくれたお弁当が捨てられてしまう。もったいない話だから、早めに欠席連絡をしなければならない。しかし朝が苦手なので難しい。
これから私は今の事業所で何年間働くのだろうか。この先どうなるかは分からないが、無理しない程度に頑張ろう。ここに書いた体験もいつか小説にできたらいいなと思う。
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