私にとっての「他者」
- 恵琳
- 2023年3月2日
- 読了時間: 3分
尊敬する文学評論家・ヤマダヒフミさんが昔、自身のブログで『センセイの鞄』という小説を批判していたのを思い出し、「小説家になろう」というサイトの中を「ヤマダヒフミ センセイの鞄」で検索すると、『川上弘美「センセイの鞄」の他者性の無さ 』という評論が一発で出てきた。
読んでみると、川上弘美の『センセイの鞄』がいかに薄っぺらくて排他的で非現実的かが書いてあり、いつものヤマダ節に満足した。
どうやら「センセイ」という初老男性と「ツキコ」という年下女性がただひたすらいちゃいちゃし続ける話らしい。二人だけの世界に他者は要らない。万一闖入しようとした者は容赦なく排除される。それが「他者性の無さ」なのだ。
そういえば私も、SNS上で一部の人から「友達でないのに=他者なのに、馴れ馴れしくされた」という理由で徹底的に嫌われたことがある。その時感じた冷たさ、容赦なさは、私を発狂させるほど凄まじかった。
「私は彼らにとっては『鬱陶しい他者』でしかない」という事実が、私の体を外からじわじわと侵食していく。寒さの緩んだ今でも、その感覚は時折私の体を冷たく重く圧迫してくる。寒さの厳しいときは精神も沈み、「人に疎まれている」という感覚が本当に辛くて、自分の存在がたまらなく汚らわしく思えた。あのとき自分を消してしまわなかったのは、奇跡である。
私にとっての「他者」とは、自分がおかしなことをしているときにちゃんと叱ってくれる人だ。だから叱られたらびっくりして「すみません!」とちゃんと謝るし、叱られないように気をつけようと思う。だから他者はありがたい。こちらが見えていないものをちゃんと見ていて、私のためを思って指摘してくれる。
単なる難癖やヘイトスピーチは論外だが、正当な批判は決して「うぜえなあ、ほっといてくれ」とは思わないのだ。そんなことを言い出したら人として終わりだ。そんな奴に未来はない。
でも今の社会はそんな奴で溢れている気がしてならない。そんな奴らに私はどれだけ傷つけられたか……! 欠点を指摘されれば「難癖をつけられた」と勘違いして、「嫌なら見るな」とブロックする。『センセイの鞄』に出てくる「センセイ」と「ツキコ」もきっとそんなくだらない、浅い人たちなのだろう。
川上弘美の『センセイの鞄』は未読だが、ヤマダさんのこのレビューを読むと、流石に読みたくなくなる。私も川上作品の中ではピアスの男みたいな扱いを受けるのだろうな。間違いない。でもそんな扱いを受けることは逆に誇れることではないか。私もヤマダさんに似ていると思うと、嬉しい。
……こう書いたところで、昔SNSで繋がっていた人から「あまり田野大輔さん(ナチ研究者)に傾倒しすぎるな、適度な距離を取る能力は大切だ」と言われたのを思い出す。しかし私にそんなことを言っても、目の見えない人に「色を識別する能力は大切だ」と無理難題を言うのと同じだ。
私は適度な距離の取り方など分からない。尊敬する人にはどっぷり傾倒する。だから元彼に洗脳されたわけだが……。
難しい。
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