生育歴(2022.05.05ver.)
- 恵琳
- 2022年5月6日
- 読了時間: 13分
(これまで書いた文と重複する部分が多々ありますのでご了承ください)
1998/10/6 大阪に生まれる 2002/4~2005/3 幼稚園 気に入らないこと(塗り絵をするとき色鉛筆が黒線からはみ出してしまった、とか)があると金切り声で叫ぶ。そして怒られたときは「ごめんなさい私はだめな子です」と必死に自分を責めて同情を買い、許してもらおうとする。そうして自分を責めるのがクセになっていく。 2005/4~2011/3 小学校 叫ぶ癖は相変わらず。小1か小2ぐらいの頃に、大阪市障害者心身リハビリテーションセンターで高機能広汎性発達障害と診断される。 当時の私は、「マニュアル通りにやること」を考えすぎて、「友達を思いやった行動をすること」を考えられなかった。 トイレ掃除のときに床の排水溝を塞いで長靴を履けなかった友達の足を濡らした事件以来、私は皆に嫌われるようになった。皆が私の悪口を言っているような気がした(今振り返ると幻聴だと思う)。 また、その頃からエキス遊びのターゲットになる。クラスメイトが「〇〇(私の名字)エキス」を体につけたりつけられたりして遊んでいた。 兄にもいじめられた。私がなにか言うたびに「お前の発言のここが違う」と粗探しをされ、「こんなこともわからんのかアホか」などと暴言を吐かれ、バイキン扱いされた。彼はトイレの共用タオルを「妹が手を拭いたやつだから」という理由で使わなかった。それは中学卒業ごろまで続いた。 そうやってサンドバッグ扱いされ、いつしか私の中にストレスが溜まっていたのかもしれない。今度は道徳の時間に習った被差別者をことごとく差別するようになった。彼らをサンドバッグにしだしたのだ。今となっては、見下そうと思えばこの世の大抵の人間を見下せるほどになってしまった。おぞましい。なんとか治らないものか。
ところで連れ合いは私の差別感情に対してこんな見解を持っている。 「あんたはさせられ症ちゃうか。差別を心からしたいとほんまに思ってるんか。あんたは映画の流血シーンで泣くやんか。そんな優しい子が差別なんかしたがってるとはどうしても思われへんのや」 例えばAさんという人がいたとする。Aさんは靴下の臭いが嫌いだが、だからこそわざわざ嗅ぎに行ってしまい、しまいには好きになってしまった。そして自分を「変態だ」と責めて苦しんでいる。 それと同じように、私という人間は差別が嫌いだが、だからこそわざわざ差別的なことを考えてしまい、「自分は差別が好きなんだ、最低だ」と錯覚しているのではないか、という事を連れ合いは考えているようだ。 なんだかわかるようなわからないような微妙な話である。
私は障害者や外国人などのいわゆる「マイノリティ」を見ると、サッと体が強張る。これは反射的な反応で、理性の力ではどうしようもない。
人を差別する本能は幼い頃から持っていた。私は幼い頃、障害のある上級生を見て、なんの気無しに「あの子、ウーウーって言うんだよ。面白いでしょ」と言った。すると母は激怒した。
私は生きていくうちにこの世の汚い差別を知り、洗脳され、身体(心と体を合わせたもの)が変形してしまったのだ。生きて様々なものに触れるうちに差別する本能が強化されてしまったのだ。
そして今こんなふうになってしまった自分を責めている。差別するという行動は絶対に許されないし、反省し改善すべきだが、根本的に悪いのは騙され洗脳された側ではなく騙し洗脳した側のはずだ。これはきっと一種の障害なんだ、社会問題なんだと思っている。 ところで小5の2学期から、自分の前を歩いている人が振り返るようになる。苦労を重ねていたせいか目つきがきつくなっていたのだろう。あと自分が内心見下している被差別者の前でも目つきが自ずときつくなるのを感じた。 あと、小5の冬頃から人の咳を聞くと、「あの人が咳き込んだのは自分が発した邪気を吸ったせいではないか」という恐怖を感じるようになった。また、人の咳が自分への攻撃に思えて怒りを感じるようになった。 小6ぐらいから私は、「授業中に精神が不安定になったら、叫ぶ前に特別支援コーディネーターの先生と別室に移動してクールダウンする」ことになった。しかし実際は、「なんとしてでも授業を受けねば」という思いが強く、叫んでから移動することがほとんどだった。 2011/4~2014/3 中学校 2012/6~7頃 道徳の時間にアンネの日記について学んでユダヤ人への差別心が湧く。「こんなやつは死ななければ」と深刻に悩む。 2012/10頃 社会の時間にヒトラーの顔写真を見て「かっこいい」と思い、「ヒトラーは自分と同じようにユダヤ人を差別していたんだ、同類だ」と思って孤独でなくなった。そして彼に後ろから抱かれているような感覚になった。私の心に「ヒトラーが好きだ」という温かい思いが浮かんだ。しかしすぐに「ヒトラーを愛するなど以ての外だ!」と思いを振り払った。 それ以降ヒトラーへの恋心に悩み、脳裏にヒトラーの顔が浮かぶたびに心の中で「死ね! お前なんかいらねえんだよ!」などと暴言を吐いたり殴ったり蹴ったりしてサンドバッグにする。しかしある時心の中のヒトラーがこう言った。 「お前、俺のこと人間だと思ってないだろ。お前、俺には何したっていいと思ってんだろ。最低だな!」 私はハッと目が醒めた。そして自分のしていたことの愚かさを自覚した。 しかしそれ以降もいじめはなかなかやめられなかった。 2014/4~2017/3 高校 高校には私をバイキン扱いする子は一人もいなかった。きっと高校が特別支援学校(障害児の通う学校)の高等部だったからだろう。特別支援学校にはいじめられた経験のある人たちもたくさんいるだろう。だから被害者の気持ちがよく分かる。だから私を穢れたものとして扱わなかったのだろう。良かった。 しかし私は高校の同級生(特に重い障害の子)を「穢れたもの」として扱っていた。彼らと握手した後、手を拭きたくなった。高校時代に自主的に一般高校の勉強をしようとは思ったが、そのせいでクラスメイトを見下しそうだったのでやめた。なので折り紙をしたり絵を描いたり、ぬいぐるみを作ったり、漫画『ぼのぼの』や昔読んだ児童書の『ぽっぺん先生物語』シリーズを読んだりしていた。 高3の夏休み、私はヘルマン・ヘッセの『デミアン』(新潮文庫版)をなんとなく図書館で借りてきて、2016/8/14の夜に読んだ。その本は私に大革命をもたらした。 謎めいた少年デーミアンは、善と悪の両方に惹かれる自分に悩んでいる主人公シンクレアに、次の言葉を贈る。 「すべてを神聖なものと見なさなくちゃ。意図的に一部を切り離して、公に認められた半分しか崇めないなんておかしいよ」(酒寄進一訳。私が読んだのは高橋健二の訳だが、高橋の訳は酷いので載せない) ああ、私の悩みは解決した。私はヒトラーを好きでいいんだ。そんな自分を受け入れよう。ありがとう、ヘッセ。私はすごい本に出会えた。 そして私は『デミアン』を1日で読み切った。 そしてその日の夜、私は夢を見た。私はヒトラーに両肩を掴まれて、ヒトラーの、興奮と喜びに満ちた目を見つめながら、彼の興奮した話を聞いていた。音声がなかったから、彼が何と言っていたのかは分からない。奇妙な夢だ。しかしヒトラーが喜んでいたことは確かだ。私の考え方が変わったから喜んでいたのだろうか。 それから私はどんどんヘッセの本を読んでいった。しかしヒトラーの本はまだ怖くて読めなかった。 2017/3~ ブックカフェ(就労継続支援B型事業所。障害者の働く場の一種)勤務 2017/3~2017/12 さをり織り工房(B型事業所)勤務 他、軽作業系B型事業所、熱帯魚ショップB型事業所で勤務するも長続きせず 2017/1/31(高3の3学期)頃から向精神薬(エビリファイ)をやめた。翌年の12月に漢方を飲み始めるまで、精神が非常に不安定になり、なかなか眠れず、情報の取捨選択ができなくなった。職場に行く途中にゴミ拾いに夢中になり、時間に遅れることもたびたびあった。 2017/3にブックカフェで、休憩中に幻を見た。空高くに雲と太陽があり、雲の切れ間から陽の光が差していた。そこにヘッセとヒトラーの魂が浮かんでいた。私は彼らにそばにいてほしいと思い、2つの魂を引き寄せた。それ以降彼らが私のそばにいるようになった。これを精神医学用語でイマジナリーコンパニオン(勝手に略してイマコン)とかタルパとか言うらしい。 私の場合、イマコンは実在の(実在した)有名人がなる。恋愛感情を抱いた人は必ず重要なイマコンになる。今では、よく話すイマコンもあまり話さないイマコンも含めたら何十人にもなる。しかしどうやら大人が作るイマジナリーコンパニオンは「タルパ」とも言うそうだ。 私の脳内にいるタルパ ・ヘルマン・ヘッセ(ドイツ、スイスの作家、詩人、画家) ・アドルフ・ヒトラー(オーストリア生まれのドイツの独裁者) ・トニー・レヴィン(ロックバンド「キングクリムゾン」のベーシスト。ウクライナルーツのユダヤ系アメリカ人) ・ロバート・フリップ(キングクリムゾンのリーダー兼ギタリスト) ・連れ合い ・とある大学准教授 などなど……。 ヘルマンちゃんと連れ合いと准教授とトニー様とロバート様のタルパは私とニコニコ仲良く話す。ただ、トニー様のタルパとは最近ほとんど話さない。本物のトニー様にネット上で頻繁にメッセージを送りつけてしまい、「きっと嫌われただろうな」という罪悪感を持っているからだ。 ヒトラーのタルパは普段はほとんど出てこないが、ナチ関連の本を読むたび彼を思い出して、「アディ(アドルフの愛称)は笑顔と寝顔がかわいいよ。お願いだから戦争や差別や虐殺はやめて。演説してるときのあなたはほんとに怖い」と言う。まるで第二次大戦中にタイムスリップしたかのように。彼に忠告する私は子を思う母のような気持ちだ。 脳内人間タルパは私を慰めたり励ましたりしてくれる。 タルパヘルマンちゃんは女のような、おばあちゃんのような喋り方をするおじいさんで、「あゆみちゃん、私がママよ。いつでも抱っこしてあげるからね」と可愛い声で言ってくれる。そして「うふふふふ」とコロコロした鈴のような声で笑う。そして「どうしたのかニャー」「かわいいニャー」と、「な〜」を「ニャー」と言う可愛さである。まあタルパの声はすべて私が演じるのだが。 タルパヒトラーでさえも「私を好きであることに自信を持て! 私は愛されてはいけない人なのか? この世に好きになってはいけない人はいない! 恋愛は自由だぞ!」と言ってくれる(私のタルパヒトラーは本物のヒトラーではないので恋愛の自由を主張する。本物のヒトラーはユダヤ人と非ユダヤ人の恋愛を禁じるなどした不寛容な人だった)。 タルパの准教授とはとても仲良しで、いつも面白いことを言い合っては笑い転げている。私がたまに馴れ馴れしく「せんせーかわいー」と言うと、准教授は「おだつんでない!」と言う。こんなことを書いていいものだろうか……。 タルパ連れ合いは「ママ〜」と私に甘えてくる。私のほうが30歳年下なのに。しかし私は「よしよしママよ」と撫で撫でしてあげる。すると色っぽいため息をつくのだ。 タルパトニー様とは最近あまり話さないが、彼もヘルマンちゃん同様優しい人だった。「〇〇(私の下の名前)、ミュウミュウ」と猫のような鳴き真似をよく一緒にしたものだ。しかし私ごときが本当の意味でユダヤ人を好きになるのは不可能だ。どうしても差別心が混じってしまう。本当に腹立たしい。 2017/6、死ぬほどの恐怖にガクガク震えながら、紆余曲折の末に手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』全3巻を梅田の本屋に買いに行った。そして1巻の途中まで読んで寝たら恐怖のあまり金縛りに遭った。そして逡巡の末にその漫画を捨てた。 しかし「読まねば」という思いが強く、図書館で1巻をなんとか予約して取り寄せ、恐怖に打ち震えながら読み切った。 しかし、残りの巻を予約しては取り消し、予約しては取り消しを繰り返し、私は精神が非常に不安定になった。路上で叫んで警察を呼ばれ、パトカーに乗せられて警察署まで連れて行かれ、母親とその友達が来るまで留め置かれたこともある。 しかし12月から精神安定作用のある漢方を飲み始めたため、『アドルフに告ぐ』を全巻予約して取り寄せ、最後まで読むことができた。今まであんなに苦労したのに案外すんなり読めたので呆気にとられた。 それ以降はナチ関連本への免疫がなんとかついた。しかし今でもナチ本の中の残酷な描写に衝撃を受けて、しばらく読めなくなったりはする。 2018/12/4 実家から障害者専用シェアハウスに引っ越す ネットの投稿で傷ついたのをきっかけに、実家ではインターネットの時間を1日30分に制限されていた。私はそんな窮屈な状況からの解放のために、はじめはショートステイに通った。しかし途中から障害者専用シェアハウスに引っ越すことになった。 同居人との顔合わせの後、私は実家からさほど離れていない一軒家の2階に引っ越した。最初の方は実家から解放された喜び故か楽しく暮らしていたが、後になって不満が湧いてきた。 まず、同居人のこと。 知的障害のある同居人はこだわりが強く、私が食べ物を床に落としたとき、落としたものが自分のすぐ足元にあったとしても私に拾わせる。また、シェアハウスの夕食は食材宅配サービスを利用しているが、私がメニューにない食材を追加して調理したり、すまし汁を味噌汁に変えたりしたら不満げな態度を取る。事前に変更許可をとってもそうされるから、腹が立つ。 次に、食材宅配サービスのこと。 平日の夕食は食材宅配サービスを利用している。食材宅配サービスは決まったメニューに従ってご飯を作らないといけない。それが非常に窮屈だ。食べたくないものまで作らねばならないのも苦痛だし、調理介助のヘルパーさんは決まった時間にやってくる。それも本当に不自由だ。自分の好きな料理を、好きな時間に作れないのだ。
食材宅配サービスをやめたいと何度も相談支援センターの相談員(福祉支援者の一種)に訴えているのだが、こんなことを言われて断られる。
「やめたら栄養バランスが偏りかねない」「あなたは自分でメニュー決めて料理できるけど、同居人はできないでしょう」「毎日メニュー考えるの大変だよ。できるの?」
私は栄養バランスを考えた食事を作れる。食卓に野菜がなければ安心しないタイプだ。一人では調理の難しい同居人は、調理の練習もしつつ、買い食いするなり私の料理を分けてもらえばいいと思う。しかし同居人は「自分のもの」と「他人のもの」の線引きを厳しくする人で、私が「余った料理分けたげる」と言っても「いや、それ〇〇さん(私の本名)のやろ」と言って断固拒絶する。なんだか付き合っていてすごく疲れる。
ところで私はスーパーで即興的にメニューを決めて食材を買い、調理する。しかし同居人は食材宅配サービスのように予め献立が決まっていないとだめらしい。私とは違う分野でこだわりが強いのだ。
2020/8/29 後に連れ合いとなる男と猪飼野セッパラム文庫(朝鮮関連人権図書館)のイベントで出会う。連れ合いは今までここに述べたような私の過去をも受け入れてくれた。 2020/12〜 連れ合いと付き合い始めるが、ラブホテルでアニリングスをされてびっくりし、それを母に相談したらびっくりされて「あなたは性暴力の被害者です」と言われた。そして警察署に連れて行かれ、母と警官の目の前でSNSのアカウントを消さざるを得なくなり、連れ合いと無理矢理縁を切られた。 私は連れ合いのことを忘れようとしたが忘れられず、年明けから秘密でメールのやり取りをした。そしてその後すぐに再会した。 それからは喧嘩したり仲良くしたりを繰り返しながら、なんとかお互い付き合っている。してほしくないことがあればきちんと言い、態度を改善していきたい。連れ合いは抱きしめる力が強く、歩くのが非常に早く、怒ったら非常にキツく、長いマシンガントークをするので、一緒にいたらしんどいことが多々ある。彼も優しくするよう努力しているというが、なかなか難しいようだ。 母は今も私達の結婚に反対している。「あなたの連れ合いは発達障害の目をしているからだめだ」と差別発言もした。私の担当の相談員は「連れ合いとは別れなさい。あなたはまだ若いからもっといい男性と巡り合うチャンスがある。親にも祝福されたほうがいい」などと常識を振りかざす。 また、「浪費を防ぐため」と言われて銀行通帳とキャッシュカードを相談員に握られている。人は失敗しながらお金の使い方を徐々に学んでいくのに、私はその権利さえ奪われているのだ。失敗するのは早いほうがいい。年を取ってから失敗したら取り返しがつかない場合が多い。 こんな福祉支援者、いや支配者とはいち早く縁を切りたい。同居人にも「死ね」「出ていけ」「毎日ストレス溜まってんねん、あんたのせいで」と言われたし、早く引っ越したい。
同居人がこんなにストレスを溜めているのは、おそらく私が家の中で大声で叫んだり、夜中に連れ合いと頻繁に長電話したり、なんの連絡もなしに連れ合いの家に泊まったりするからだろう。それは本当に申し訳ない。だからお互い気持ちよく過ごせるように、同居人と離れたい。
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