父方の祖母が亡くなりました
- 恵琳
- 2022年2月17日
- 読了時間: 3分
2022年2月9日朝、父方の祖母が亡くなった。私は祖母危篤の報を受けていたのに、すぐ駆けつけることができなかった。
祖母逝去の知らせを受け、実家マンションへ向かい、祖母の抜け殻と対面した。 彼女は口をぽかんと空けて目を瞑り、ベッドに横たわっていた。部屋に入った途端思わず「おおお」と涙がこぼれ、口から英語しか出なくなった。 彼女の魂はそのぽっかり空いた口から出ていったのだなあ、そして祖父と天国で一緒になったろうなあと英語で呟いた。 母がなかなか来ないので電話したら、彼女は「今から行くわ」と言ってやってきた。 母の話によると、両親と弟は祖母の死に目に会えたが、兄と私は会えなかったらしい。母は泣いてこそいなかったものの、目が潤んでいた。
(後で葬儀場で聞いた話では、本当は母だけが祖母の死に目に会えたらしい。父は「おばあちゃん(父方の祖母)は◎◎(母の名前)を信頼しとったから、◎◎の前で死にたいと思ったんやろう。俺やないねんな……」とのこと) 母と私は1階に降り、マンション裏側の父の仕事場に行った。 私は母に「今日は川村・シンリツ・エオリパック・アイヌさんっていうアイヌの活動家の命日でもあるねんて」と言った。 仕事場のそばには庭があり、椿の花が一輪ぼてっと落ちていた。祖母が死んだときに落ちたのだろうか。 私は両親とともに葬儀社に向かって歩きながら話した。 私は父から「〇〇(兄の名前)はマンションの5階におったけど死に目に合わんかった」と聞いて、「あかんなあ。でも✕✕(弟の名前)は死に目に会えてよかったなあ」とも言った。 父は「いや、死に目に会える事はそんなに多くないし偉くもないやろ。世の中には水死した人や地震や津波で死んだ人とか、飛行機事故で死んだ人もおるんやし」と言った。 警察署の前を通ると父が「あゆ(私のこと)、『お世話になりました』って言うてこい」とくだらない冗談を飛ばしてきた。私がそれを無視すると両親は笑っていた。 そして葬儀社の前のバス停にちょうどバスが停まった。私はそれに乗り込んで二人と別れた。 私は祖母が死んでもちょっとしか泣かなかったので、祖母には申し訳なく思っている。 でも家族が亡くなってもそんなに泣かないのは、家族がいなくても生きていけるということだから、強いことなのだ。
父方の祖母のお別れ会とお葬式にも出席した。叔父(父の弟)やいとこ2人も来ていた。また、祖母の通っていたデイサービスの「イケメンさん」が、お別れ会だけ出席していた。
私達は祖母の棺に花や手紙や折り鶴を入れ、火葬場で抜け殻を焼いてもらった。 彼女も散々苦労したけれど、やっと解放されて光の中へ行ったのだ。だから今日は悦ばしい日でもある。 そして、私はこれから見送るであろう数多くの友のことを思った。 私は年上の友人が多く、両親もまだいる。ツレは両親と同世代だ。 だからこれから私は喪失の悲しみを人一倍味わうことになる。五十路の頃が一番大変だろう。 しかし彼らを見送ったあとは、安心して死ねる。なぜなら愛する人や優しい友のところへ行くだけだから。
祖母の死に目に会えなかったのが残念だ。だが亡くなった彼女の抜け殻がうっすら微笑んでいたのは非常に喜ばしく美しいことだ。
祖母のような幸せな死に方、納得行く死に方がしたい。
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