残酷への愛着
- 恵琳
- 2022年2月28日
- 読了時間: 1分
私は昨日、人に安易に言えないことで悩んでいた。その悩みを、抽象的に、比較的無難な言葉でツレに語った。 「私、人が殺されてる写真や死体の写真を見た瞬間は恐ろしいと感じるねんけど、後でオナニーのオカズにしてまうねん。あと、人が死にそうになってるとき、それを知った直後は『死なないでください』と思うけど、後で『死ね』って思うねん。苦しいわあ」 すると彼は「ええやんか。人間そんなもんや」とさらっと言った。私はそれにも絶句した。「あかんぞ」と責められると思っていたのに。 ツレ曰く、「タナトスとエロスって知ってるか? 死への欲求と生(そして性)への欲求や。タナトスとエロスは表裏一体で、タナトスの中にエロスがあり、エロスの中にタナトスがあるんや。別に強迫性障害とかではないよ。おかしいことではない」とのこと。 私はそれで慰められた。 死体にエロスを感じてオナニーのオカズにするのも、苦しんでいる人の不幸を願うのも、ラブソングに哀しみや死や滅亡の影を見るのも、人のやることなのだ。 もっと自分の邪悪な部分、世間的に許されない闇を、非公開または限定公開の場で言葉にして受け入れる必要があると思った。公開の場で語れるのは抽象的な「毒を抜かれた」話だけだ。それでも大多数の人からしたら毒が強いだろう。
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