支援学校で変わったものと、変わらなかったもの
- 恵琳
- 2022年9月12日
- 読了時間: 5分
中学卒業後、私は障害のある子の学び場である支援学校の高等部に進学した。「恵琳は一般高校はしんどくて耐えられないだろう」と親が判断したのだ。それほどに中学時代の私は苦しかったのだ。
授業中、人の咳が自分への銃撃に思えて毎日のように泣き叫んだ。そのたびに、「特別支援教育コーディネーター」という、障害のある生徒の支援をする先生に教室から引っ張り出され、空き教室に連れて行かれていた。
学歴へのこだわりと、障害者への違和感、嫌悪感、恐怖、軽蔑心といった差別感情から、私は正直一般高校に通いたかった。しかも支援学校高等部を卒業しても高卒資格は取れない(そのくせ大学入学資格だけは取れるという面倒くさい仕組みだ)ので、支援学校に行くのは本意ではなかった。
しかし、支援学校で、私の価値観は確かに変わった。
例えば、「障害者に対する無駄な距離感」が縮んだ。
支援学校で障害のある同級生が「がんばりやー!」などと大声で独り言を言ったりしていたら、先生も他の生徒も笑っていた。
私にはそれが本当に衝撃だった。
なぜならそれ以前は障害のある人が独り言を言っても必死に笑いを我慢していたからだ。障害者の独り言を笑うことは悪だ、差別だと自分を抑えつけながら。
私は中学校の頃まで障害児者とその親の会に所属していたのだが、そのときも、私は障害者の独り言で笑わなかった。というか誰も笑っていなかった気がする。もしあの場で笑っていたら怒られたかもしれない。
しかし、支援学校における、障害のある同級生の独り言に対する笑いは、決していやらしい悪意あるものではなく、カラッとした純粋な明るい笑いだった。
私はそれが本当に新鮮だった。そうか、「障害者が独り言を言っても絶対に笑ってはいけない」という考え方のほうこそ、障害者を同じ人間として見ない障害者差別だったのかもしれない。
障害者を同じ人間として見ているからこそ、ああいうカラッとした嫌味のない笑いが出るのだろう。それは本当に素晴らしいことだ。
これからも、障害者の人とも異民族の人とも、すべての人と無駄な距離感なく接していける人を目指したい。
……まあDV元彼とは100万マイルの距離を取って永遠に近づかないけど。私に傷つけられて絶縁宣言した被害者の方もそうだ。私がもし近づいたら加害になる。
ちなみに絶縁した被害者の中には晒し被害者のナチヲタの方も含まれるので、ナチヲタ・スタディーズ(ナチヲタ研究)など私にできるはずがない。私が起こした晒し事件のせいであの界隈とは疎遠になってしまっている。研究者は研究対象と絆を築く必要があるが、私にはそれができない。だから他のもっとマトモな方、ナチヲタ・スタディーズをよろしく頼む。
ところで懺悔になるが、私は支援学校の同級生に「着替えているところを覗く」という性暴力を振るってしまったので、ある時から一人だけで着替えさせられた。
被害者の方に会わないために同窓会は二度と行かない。被害者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。本当に済まなかった。
また、同窓会に行きたくない理由はもう一つある。教師に会いたくないのだ。
支援学校とはいえ、所詮学校は学校。抑圧的な先生や怖い先生、くだらない先生は確かにいた。
例えばある子は先生の話を集団で聴いているときに思わず立ち上がってしまう。先生も生徒も、その子に「座れ座れ」と要求する。
この光景、今となってはちゃんちゃらおかしいと分かる。なぜなら立っていようが座っていようが、先生の話を聴いていればそれでいいわけだし、「その子が邪魔で前方で話す先生が見えない」という子に配慮したければ、その立ってしまう子を後ろの方に移動させればいいだけの話だ。それなのに私は、皆は、その子への残酷な態度を変えなかった。
その子には本当に申し訳ないことをした。心からお詫びする。学校というのは酷いところだ。
ところで、支援学校では中学校ほどのいじめはなかったにしろ、障害の比較的軽い子が重い子をからかったり、隣の席から「ガイジ」という差別語がかすかに聞こえたりもした。
また、音楽の授業中に『アラジン』のアニメ(『ホール・ニュー・ワールド』の歌唱シーン)を観ているときに、「キャーッ」と鳴く猿が登場した。その時ある男子が「さっき恵琳おったぞ、なあ」とからかってきたこともあった。私がよく叫ぶ子だったから、猿に例えられていじめられたのだ。
そして私自身も、てんかんの発作で凍りついている子の前で悪気なく治癒を祈って合掌していたら、私を猿に例えた同級生に「失礼やぞ」と怒られた。「『死んだ』あるいは『死ね』と思って合掌している」とみなされたのだろう。
それは本当に衝撃で、私は大泣きしてしまった。同級生に糾弾され、また自らも自らを差別者として激しく糾弾した。そしててんかん発作を起こした子に申し訳なく思うと同時に、自分はこの学校にいてはいけないと強く感じた。
生徒の中でも勉強のできた私はただでさえ他の大概の生徒を見下していた。「あんまり本を読み過ぎたら賢くなりすぎて他の子を見下す気持ちが強くなるだろうな」と思って、折り紙をしたり、漫画『ぼのぼの』を図書館で借りまくって読んだりしていた(実は『ぼのぼの』は、ほのぼのしていながらすごく哲学的な漫画なのだが)。
なので私は、さっさと自分の心の闇を告白して退学にならねばならないと思って深く悩んでいた。それに加えて中2の頃からずっとヒトラーへの恋心(同じ「差別してしまう病んだ人間」として恋していた)も隠し持っていたので、支援学校もまた地獄だった。障害者を虐殺した男が好きな障害者なんて、いてはいけないと思っていた(しかし障害持ちのナチヲタも存在するから、自分含め彼らのことも認めるべきだ)。そしてこれは、完全に自分の作り出した地獄だった。
私が変わらない限り、結局どこにいても地獄なのだ。人生そんなものだと思うしかないのだろうか。でももしそうだとしても、地獄をマシにする努力や工夫は必要不可欠だ。どうやってマシにしようか。少なくとも無駄に自分をいじめたり、わざわざ苦しんだりするのをやめたい。
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