差別は精神障害であり、精神障害は身体障害である
- 恵琳
- 2021年12月2日
- 読了時間: 2分
例えばここに嫌韓ネトウヨがいるとする。彼は韓国人の写真を見るだけで体が強張り、目線がきつくなり、唇も怒りに歪む。試しに彼を問いただしてみよう。
「あなたはなぜ韓国人の写真を見るとそのような反応をするのだ?」
「韓国人が嫌いだから」
「なぜ嫌いなのだ?」
「韓国人だからとしか言いようがない。いややはり気性が荒いからか。しかしそれこそステレオタイプだ。韓国人には激しい人だけでなく穏やかな人もいると分かっている。しかしそう分かっていても私の体は自動的に拒絶反応を起こしてしまう。私は精神障害者であり身体障害者なのだ。差別とは障害なのだ。俺は差別に体を操られているのだ。この障害は治るのだろうか?」
もちろんネトウヨの中には、差別しなくても生きて行けるはずなのに、商売の為にわざわざ差別をする人たちもいる。極右雑誌の編集に携わる者たちがその例だ。そういう人々には人を踏みにじって飯を食うのを直ちにやめてもらわねばならない。
しかし最初に挙げたようなネトウヨがいるのも確かだ。差別は精神障害であり、精神障害は身体障害である。精神が歪むと身体も歪むのだ。なぜなら精神は身体の一部だからだ。まあもしかしたら極右雑誌の編集に携わる者たちの中にもそういう人がいるかもしれないが。
差別障害(と私は勝手に名付けた)は治るのだろうか。
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