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原罪について(ツイッターでの発言を加筆修正したもの)

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2021年11月28日
  • 読了時間: 6分

 掲示板サイト・レディット(reddit)の犯罪性愛者コミュニティで「ヒトラーが好き」と言ったのは大きな間違いだった。あれ海外の掲示板だからな。ナチ被害者遺族の利用者がガチでいてガチで傷つくんだわ。「病院行け」とか誹謗中傷も受けたし。犯罪性愛コミュニティだからって油断しちまった。同じ性的嗜好でも連帯できない場合がある。


 今までレディットの人たち恨んでたけど、油断して口を滑らせて人を傷つけた私も悪いのだから、恨まないようにする。犯罪性愛コミュには私をわかってくれる人も少なからずいたけど、英語の掲示板ではヒトラーを好きとは言わないようにする。まあいずれはユダヤ人と分かり合いたいけど、まだまだ先の話。


 こっちはユダヤ人等のナチ被害者からしたらマジョリティなんだからな。それを忘れちゃいけねぇ。自分のマイノリティ性ばかり強調しちゃダメ。


 けどツレ曰く「あなたはマイノリティや。マイノリティっちゅうんは環境(自然と社会と遺伝)によって不利な状況にさせられてる人のことや。人を傷つけることとマジョリティであることは別」と。また曰く「才能って遺伝子やろ。才能は本人のものとか言うけど、遺伝子は親からの貰い物、財産や。せやから自分のものやない」とのこと。彼の意見を元にノートを書いてみた。


 犯罪性愛者は好きな人を好きと言って人を傷つけ、「なんでそんな人好きなの!?」と非難されるけど、それは性的嗜好ゆえだから自力では変えようがないし、「よし、今日から私は犯罪性愛者になるぞ」と決める人なんてまずいないだろう。世間から白眼視される性的嗜好になりたくてなる人はいないから、犯罪性愛者はマイノリティ。


 差別障害者は人を差別して傷つけ「なんで差別がやめられないの!?」と非難されるし、発達障害者はKY発言して人を傷つけて「なんで空気が読めないの!?」と怒られるけど、それは障害故であってわざとしているわけではない。しかしそういう人たちは罪悪感に苦しみ、社会的に不利な立場に置かれている。だからマイノリティ。


 私だって自分の中に差別心が生まれるのを止めようがないし、空気を読めない発言もわざわざしたいと思ってしているわけではない。ユダヤ人を傷つけるためにヒトラーへの恋心と自分史を語るわけではない。


 まあ差別する者全員が障害ゆえにどうしようもなく差別しているわけではない。差別しなくても生きていけるのに、わざわざ金儲けのためにネトウヨ雑誌を売りさばく悪徳商人は論外だ。私はそういう奴の話をしているのではない。私はそいつとは違う。そういう奴らには心から怒りを覚えるし、月刊ハ○ダなどさっさと潰れてしまえと思う。


 また、サイコパスと呼ばれる人も精神障害者である。「あなたはなんで人と一緒に泣いたり悲しんだりできないの!? この冷血!」と非難されることが多いが、そういう人は生まれつき脳がそんなふうになっているのだから、その人を責めるということは、虎に対して「あなたはなんで凶暴なの!? なんで動物を食べるの!? この冷血!」と叫んでいるのと同じだ。サイコパスに傷つけられた人の苦しみも尊重せねばならないし、この文章が被害者を傷つけることは避けられないが、怒りのあまり「本人が本人であること」自体を否定するのはやりすぎではないかと思う。


「傷つけてしまうから悪い」というのは、中世日本の猟師が「わし鳥とか獣とか殺すからあかんやつやわあ、悪人や」と悩むのと同じだ。そうやって悩むのは非常に悲しいことである。やむを得ない理由があるから悪くないのに。


 ちなみにツレ曰く「『罪を憎んで人を憎まず』というのは間違いや。自分から進んで犯した罪と、自分が強制されて犯した罪を分けなあかん」とのこと。ではヒトラーは自分から進んでユダヤ人迫害をしたのか、周りからの強制でしたのか? 私は両方あると思う。ヒトラー一人に責任を被せるのでなく、ヒトラーに協力した(また、止めなかった)人々の責任も問うのが一番バランスが取れていると思う。


 私は障害ゆえに人を差別してしまうと書いたが、自ら進んでそうしているときもある。しかしツレ曰く「そう見えても実は遠回りに外からの強制やったりする(例えば小さい頃の体験の影響など)。だから、自発的な悪と強制的な悪を分けなあかん」とのこと。私は前者を「内発悪(自発悪)」、後者を「外発悪」と呼ぶことにした。


またツレ曰く「育てられ方悪かった人は一見自発的に悪いことするから、周りはその人が悪いのか環境が悪いのか判断に困ってしまう。でも、そういう人のなす悪は遠回りな意味で外発的や」とのこと。


 考えてみると、私はヒトラー好きの仲間と繋がったり差別の心理を知ってもらうために、ヒトラーを好きと言ったり自分の差別性を語ることで、人を差別し傷つけている。なので紛れもなく原罪を背負っているのだ。


 私が差別障害者、発達障害者、犯罪性愛者になったのは私のせいではない。ただ、差別やKY発言や、「ヒトラーが好き」と言ってナチ被害者を傷つけること自体は悪だし、その罪に対しては責任がある。被害者には申し訳ないと思うけれど、加害をやめられそうにない。これが原罪というものだろう。発達障害者、差別障害者、犯罪性愛者だけでなく、すべての人が知らず識らずのうちに加害をしている。しかしツレは「原罪などない」と言う。


 キリスト教に詳しい親友曰く「人を差別し排除するのが原罪とちゃうか。そしてそれを許すのがキリストであり阿弥陀仏」と。親鸞好きの私にぴったりフィットする言葉だ。そしてツレ曰く「近代においてはキリストと阿弥陀仏は『人権』に置き換わる」とのこと。人は皆生きる権利あるもんな。人は生まれたとき、天から罪でなく人権をもらうんや。


 でも私が差別や排除をせざるを得ないにしても、わざとやるのは絶対ダメだ。「薬あればとて、毒をこのむべからず」と親鸞が言ったであろう。私はわざとヒトラーへの恋心とそれへの罪悪感、そして差別心理を語っているのでない。罪悪感と恐怖を感じながら、孤独な犯罪性愛者と、私を知りたい人のために語っているのだ。


 原罪というものは存在しない。私達は生まれてきたとき、天から罪でなく人権(人として大切にされる権利)をもらうのだ。私達は日々悪いことをしてしまうが、それは原罪とは違うように感じる。  クリスチャンでないのにこんなことを言っていいかわからないが、個人的には、私達が日々犯す罪は、沼底からポコポコと立つ小さな泡のようなイメージがある。しかし原罪はもっと重苦しい感じがする。旅の最初から重荷を背負って歩く人を連想した。  私たちに原罪はない。楽になる権利がある。楽しく遊んでいる人に「お前長時間労働してるやつに申し訳ないと思わんのか、彼らのことも考えろ=お前も苦しめ」などと言う資格は誰にもない。


※ここまで読んでわからない点や言いたいこと等あれば遠慮なくコメントしてください。コメントはもちろん任意ですが、みなさんと議論がしたいです。何もコメントがなかったら「読者の人たちはちゃんと理解しているのか?」と不安になります。理解されないまま沈黙されるのは辛いです。お読みいただきありがとうございました。


※一部不適切な表現がありましたので、ツレに指摘されて修正しました。ありがとう。


※記事タイトルを「原罪について」に変更しました。

 
 
 

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