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容赦ない人への憧れ

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2023年2月8日
  • 読了時間: 3分

私の中には、非情で過激な人への恐怖と憧れがある。そしてそれがナチ趣味に繋がったのではないかと思っている。

誰かを徹底的に嫌って攻撃する人に対して、私は凄まじい恐怖を感じ、「あんな気のきつい人にはなりたくない」と思う。

しかし、自分の中にもそのような「容赦ない人格」は存在し、私の欠点を見つけては徹底的にいじめ抜く。そのように正義に則って敵を容赦なく打ち据える快感を、私も知っている。

私の中にそのような人格があるのは、兄に徹底的に欠点を指摘され、いじめ抜かれてきたからだ。

ちなみに、こちらが具体的にどんなことを言って、その結果兄に怒られたのかはほとんど記憶にない。辛すぎる思い出だから忘れてしまったのかもしれない。

私は兄を「頭のいい人」として尊敬していた。兄にこちらの発言の不備をくどくどと指摘されていじめられても抵抗せず、「私が馬鹿なことを言うからいけないんだ」と自分を責めていた。

そういう無抵抗な態度を取った結果、私は兄に性暴力を振るわれた。「こいつなら犯しても怒らないだろう」と思われたのだろう。

そして兄のような容赦ない人格が自分の中にできて、兄のいないときでも自分の欠点を容赦なくほじくり出してメッタ刺しにする。優しい人は悪人に利用され支配されてしまうのだ。だからといって「優しいことは悪いことだ、冷酷になれ」とは言わないが。

私は「敵に対して容赦ない人」に対して、「あんな怖い人にはなりたくない」という思いと、「あれだけの強さがあればいじめられても抵抗できる。かっこいい。羨ましい」という憧れが混じり合っている。

そうか、私がナチヲタになったのは、「容赦ない人への憧れ」があるからなんだ。だからヒトラーを好きになったのかもしれない。

私の中にもナチ的なものは十分にある。恐ろしいことだ。うまいこと制御しないと大変なことになる。


まあ、とにかく、無理をしないことだ。自然体でいればいい。


もしかしたらヒトラーがあんなに非情な奴になったのも、「強さへの憧れ」があったからなのかもしれない。「強さがあれば、虐待してくる親父や、残酷な世間に抵抗できる。強い人はかっこいい。羨ましい。強くなりたい」という切実な思いに突き動かされていたのではないか。

そして「強さへの憧れ」は、彼の中に「理想の人間像」を作り上げ、その理想に合わない人々――ユダヤ人、ロマ人、黒人、障害者、反ナチの人々など――への蔑視・虐殺に繋がった。

そのような冷酷さは、いずれ自分が老いた時、「老いぼれて体の動かない俺は死んだほうがいい」という自分差別に繋がる。恐ろしいことだ。人を差別したら巡り巡って自分も差別されることになるのだ。

彼に優しさがあったなら、どれだけ沢山の人が殺されずに済んだだろう。優しくありたいものだ。

 
 
 

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