原罪について2
- 恵琳
- 2021年11月29日
- 読了時間: 1分
この記事「原罪について(ツイッターでの発言を加筆修正したもの)」についてまた書きたいことができた。
この記事には、「私達に原罪(生まれながらに背負った罪)なんてない」と書いたが、その思想に新しい進展があったのでここに記録する。
西洋哲学に詳しい年上の友人に「あの、原罪ってあると思いますか?」と訊くと、次のような答えが返ってきた。
「あのね、キリスト教における原罪っていうのは、ギリシア語とかの原義によると『的外れ』って意味なのね。私達はどうしても神の意志通りには生きられない、どうしても道から逸脱してしまうのよね」
私はそれを聞いて、「そうか、せやったら誰もが原罪を背負っているということなんですね!」と驚いた。友人は「うん、そういうことになるわね」と言った。誰もが逸脱者、マイノリティなのだ。
友人はこうも言った。
「原罪って日本人は言葉通り『生まれ持った罪』と見做してしまいがちやけどね、ほんまは違うんよね。私達は日々どうしても人を傷つけてしまうんよね。それも原罪と言えると思うんよね。けど私達は間違いを訂正して前に進むことができるから、それが大切やと思うね」
私は思想が深まって嬉しくなった。前の記事は原罪の定義もよく知らないまま書いていたので、そこが悔やまれる。反省反省。
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