加害を記憶すること
- 恵琳
- 2022年9月4日
- 読了時間: 1分
自分の加害行為や、被害者のことを記憶し続けることは一種の懲罰。私はそれを個人レベルでやっているし、ドイツ人は国家レベルでやっている。
ドイツ人、偉いけど、辛くないのかなあ。
やめたいと思ってもやめないのは、やめたら被害者が浮かばれないからだ。そこまで耐えられない人が、被害者意識ばっかりの歴史否定論者やネトウヨなどの困った人になるのだろう。
まあそういう人たちの「いい加減加害のことなんか忘れさせてくれよ! もうたくさんだ! 耐えられない!」という泣き叫びたくなるような苦しみもわからんではないが。もしかしたら私がこうやってネトウヨや加害者に理解を示すこと自体が、被害者を著しく傷つける行為なのかもしれない。
もうどうしたらいいの! 苦しいよお!
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