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兄からの暴力

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2022年2月24日
  • 読了時間: 2分

私は小学校4、5年の頃、夜寝ているときに兄にパンツを降ろされて女性器を触られた。性暴力は一度だけで済んだのだが、幼い頃から毎日毎日なにか発言するたびに「お前の発言のここが間違ってる」「アホか」などと罵られていた。

そして小学校4、5年からはバイキン扱いされていた。

実家のトイレの中に共用の手拭きタオルがあったのだが、兄は私が使ったタオルでは決して手を拭かなかった。兄専用のタオルがあったくらいだ。

今はタオル分けはなくなったものの、バイキン扱いは続いている。

(ちなみに学校のクラスメイトにも中学卒業までバイキン扱いされた。「〇〇(私)エキスが感染る」とか言われたし、班活動の時私と机をぴったりつける人はいなかった。特別支援学校高等部に進学してからはバイキン扱いは止んだが、パニックになったときの叫び声を真似されるといういじめはあった。叫び声の真似は幼い頃から今までずっとある)

今年の正月に私は、自分のいらないお屠蘇を兄にあげようとしたが、「いらんわ」などと罵られた。おまけに弟まで兄の真似をしだした。私がお屠蘇の入ったおちょこで弟と乾杯しようとしたら、彼はサッと盃を引っ込めたのだ。 バイキン扱いの件はわかりやすいいじめであったため、一番先に周囲に打ち明けられたし問題視できたが、発言の粗探しの件は二番目、そして性暴力は打ち明けるのも問題視し始めるのも一番遅れた。 発言の粗探しは辛くてもやられて当然だ、私が馬鹿だから悪いんだと思っていたし、10代の頃は性暴力を振るわれたという実感が全く湧かなかった。性暴力がどういうものかよくわかっていなかったのだ。 彼にバイキン扱いされたせいで私は自分が汚れた存在であるかのように思うようになり、「人が咳をするのは、私が出した邪念をうっかり吸い込んでしまい、それを出すためだ」と思うようになってしまった。 それでも父方の祖母の葬儀で兄と会っても、白熱した怒りは湧かなかった。やはり私は兄が好きでもあるのだ。幼い日は一緒にぬいぐるみで遊び(その時いじめもあったが)、私にキングクリムゾンやイェスやピンクフロイドなどの偉大なバンドを教えてくれた人だから。

もしかしたら、私が他人に対してあまり怒らず自分を責めるばかりだったから、彼は私をサンドバッグにしているのかもしれない。卑劣な奴だと思うけど、私だって親や教師に反抗するのが怖くて、自分という無抵抗な弱者をサンドバッグにしだしたではないか。また、マイノリティへの差別心が湧くのも上の者を攻撃するのが怖かったからだと考えられる。 これが虐待の連鎖か。

 
 
 

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