人権活動家が自らの差別心について語ってもいいのか?
- 恵琳
- 2021年10月8日
- 読了時間: 4分
マイノリティの権利運動をしてる人が自らの差別心についてブログで語るなんて最低だと思う。
私は今までに「私は自分の中の差別心に悩んでいたころ、『同じ差別者』『同じ欠点を抱える者』としてヒトラーを好きになった」「私は見下そうと思えばすべての人を見下せてしまう」などと書いてきたが、こんなの人類の敵宣言じゃないか! 私自身も人から見下されるマイノリティのくせに! こういう発言がどんだけたくさんの人を傷つけると思ってんだ!
私はもうベルガモをたたんだ方がいいかもしれない。反政府デモも参加してはならないかもしれない。せっかく安定してきた精神が荒れてきた。死にたい。嫌われて当然だ。これでは他のLGBTPZN運動家とも連帯できない。さようならだ。日本唯一と思われる犯罪性愛コミュニティサイトがこんなんじゃどうしようもない。
差別者はマイノリティと関わるな! 人権活動をするな!(←これって分断招かないか? 差別心のない人なんていないし、みんながみんなマイノリティなんだからマイノリティと関わらないなんて不可能だろう。でもマイノリティ側からの「差別者は私と関わるな」「あなたは人権活動をしても良いが、私や私の同胞・同類たちにかかわる人権活動はやめろ」という意見は尊重されるべき)
差別は無意味で愚かなことと分かっているのにやめられない。私は狂人だ。
何度も書いて申し訳ないが、私は小中生時代、道徳の授業等で「この世では○○人が差別されているが、あなたたちは差別してはいけません」という言葉を聞くと、「○○人は差別される側の人間だ」という記憶がやたらと脳裏にこびりついた。また、当時虐められていた私はストレスのはけ口を探していたので、「この世で差別されている○○人」を一緒になって差別するようになったのだ。「赤信号みんなで渡れば怖くない」というやつだ。
また、心の底では、教師による「正義の押しつけ」や、親(そして親を内面化した自分)からの「いい子プレッシャー」にも反発していたため、差別心を抱くようになったのだ。
ちなみにMという人は「『この世では○○人が差別されている』という事実は目に見えるけど、『差別してはいけません』という価値観は目に見えない。だから目に見える事実が恵琳さんの頭にスッと入ったんだと思う」と言っていた。
まあ最近はマイノリティの人と関わるようになり(おいおい詐欺じゃん、マイノリティだましてどうすんの? 最低すぎ←これも分断招きそうだけど尊重されるべき意見)、「みな同じ人間なんだ」と実感することが増え、差別心も和らいできたが、それでもやっぱり根強い。憎たらしい差別心め、消えてしまえ!(←差別心を消すんじゃなくて、叩くんじゃなくて、従うんじゃなくて、自分の一部として受け入れようよ、ヘルマン・ヘッセも言ってただろ? ツレも「社会が良くなれば心もそれに応じて良くなる」って言ってただろ? 自分の差別心をなくすために社会を変えようよ。そのためにはデモに参加すべきだ。たとえ自分と違う種類のマイノリティのためのデモであっても、彼らの解放と誇りの獲得のために闘うことが、自分の解放と誇りの獲得につながる)
ツレは私に「恵琳が差別をしてしまうのは一種の障害や」「差別は社会の問題や。社会が個人に差別をするように仕向けてるんや。恵琳かて周りに差別主義者がおらなんだら影響されることもなかったやろう」と言うが、だからといって私が免罪されるわけがない!
「差別主義者や差別的な社会構造に影響された罪、騙された罪」というのはある!「差別障害」なる概念を作って差別主義者に免罪符を与えるな! 彼らに被害者面をさせるな!(←ちょっと待て! 空気を読めない発達障害者も悪いのかよ! そういう人が発達障害の診断名をもらって周囲の理解を求めるのは悪いことなのかよ! 詐欺の被害に遭った人も悪いのかよ! カルト教団に洗脳された人も悪いのかよ! ふざけんな!)
すみませんでした。
ところで、どうせベルガモはたためないと思う。このサイトは本当に大切な私の居場所だから。でも私だけの場所じゃない。だから人を傷つけることは言ってはならない。私が差別心について語った記事はゴミだ(←いやいや、差別する人の心理を知りたい人にとっては役に立つ)。
なんとひとりボケツッコミ記事になってしまいました。お目汚し失礼しました。
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