上橋菜穂子さんが育んだ、私の反骨精神
- 恵琳
- 2022年8月28日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年8月31日
私は12歳の頃から上橋菜穂子さんの大ファンで、『精霊の木』、『月の森に、カミよ眠れ』、『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』『獣の奏者』を読んできた。
『鹿の王』、『香君』は未読だが、彼女の作品は「異世界歴史小説」と呼べる。私は「ファンタジー小説」などという安易で使い古された呼び方はしたくない。
彼女の小説の主人公は、必ずマイノリティの人々、支配される人々、差別される人々、マジョリティの世界から逸脱せざるを得ない人々、周縁化された人々である。
地球とは違うナイラ星が舞台のデビュー作『精霊の木』では、主人公の兄妹が、地球人移民と移住先のナイラ星の先住民ロシュナールのミックスルーツだ。
それに、『月の森に、カミよ眠れ』に登場する巫女キシメは、蛇神タヤタと結ばれる。
ちなみに『狐笛のかなた』でも、人の心の声が聞こえる少女小夜と、狐とも人間ともつかぬ少年野火が結ばれ、子をなす。『月の森に、カミよ眠れ』と『狐笛のかなた』はいわゆる異類婚姻譚だ。
『獣の奏者』では、アーリョという、ロマを想起させる放浪の民の血を引く少女エリンが、「決して人に馴れない、また馴らしてはいけない獣」とされる闘蛇(龍のような蛇のような生き物)と王獣(翼の生えた熊のような生き物)と対話できるようになる、という話だ。
「絶対対話不可能」とされた存在の声を聴き、話しかけ、絆を深める彼女の姿は本当に眩しい。そして彼女を政治的に利用し、王獣を戦争の兵器にしようとする者たちは本当に汚い。戦争のない世界とは、獣も人も醜いしがらみから解き放たれた世界である。
そして守り人シリーズには、放浪の用心棒バルサと、新ヨゴ皇国皇太子でありながら彼女とともに放浪するようになったチャグム、薬草師のタンダ、そして彼の師である呪術師トロガイ、畏ろしき殺人神タルハマヤを宿した少女アスラなどのマイノリティが山ほど登場する。
また、新ヨゴ皇国のある大陸から海を挟んで南方にあるタルシュ帝国が北方侵略を始め、タンダも徴兵されて大怪我を負い、片腕を失う。しかし、大洪水によって帝は死に、戦も終わる。
そして、シリーズ本編の最終巻である『天と地の守り人 第三部 新ヨゴ皇国編』(偕成社 単行本版)の終盤で、帝となったチャグムはこう決意する。
(ほんとうは、帝などという位、なくしてしまえばいいのだ)
この言葉をふと昨日思い出して、私はハッとした。
そうだ。上橋さんは反天皇、反差別、反帝国主義の作家さんなんだ、と。
上橋さんは弱者への思いやりと、悪しき権力者への強い怒りに満ちた正義の人なのだ。そのプロテストを異世界を舞台にやってのけるのだから、凄いとしか言いようがない。この人は一体どれだけ膨大な本を読み、そのエッセンスを抽出し、小説に落とし込んだのだろう。
この作家さん、一作あたりの分量がかなり長く、読むのも一苦労なのだが、余裕のある学生のうちに読んでおいてよかったと本当に思う。
皆さんもぜひ、夢とファンタジーと、最高にかっこいい反骨精神と、弱者への温かいまなざしに満ちた極上の上橋ワールドを堪能していただきたい。
***
これを読んでいた当時の私の話もしておこう。
学生時代の私は、道徳の時間に異民族や障害者への差別について学ぶたびに、彼らへの恐怖心を強めていた。「そうか、彼らは差別される側の人間なんだ」と思うと、彼らを見下しいじめる思想に影響されて、心の中で彼らに暴言を吐くようになってしまったのだ。私は昔から洗脳されやすい弱い人間だったのだ。本当に情けない。
私は学生時代に、バイキン・サンドバッグ扱いされていじめられていたから、自分も誰かに対してバイキン扱いやサンドバッグ扱いをしたくなったのかもしれない。
それで、異民族や障害者の人と握手したときには手を拭きたくなってしまうようになった。
上橋作品にはそういう被差別者がたくさん出てくるから、読んでいたら彼らへの恐怖心と蔑視感情が湧いてきて本当に辛かった。それでも私は、「これが読めなければ人間ではない!」と自分を叱って、辛くても読み続けた。
まあ大人になった今は、心が辛いなら無理して苦しい本を読む必要はないと思うし、守り人シリーズが読めない人だって私と同じ人間だと思うけれど。昔の私は今以上に極端だったのだ。
でも、そうやって喘ぎながら読んだ経験があるからこそ、反政府・反差別活動家としての私がいるのだと思う。
まあこんな人間が反政府・反差別活動をやること自体が詐欺だとも思う。だからマイノリティとできるだけ付き合わず、健常者の大和系日本人だけの世界に引きこもったほうが良いとも時々感じるのだが、「困っている人を助けたい」という思いが相変わらず強いので、今日も反政府発言を続けているというわけだ。
やらない善よりやる偽善、という言葉もあるが、私ほど汚い人間はなかなかいないだろう。雑毒の善(邪念の混じった不完全な善)しか私にはできないのだ。
ではこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。目の前でホームレス、異民族、障害者が殺されそうになっているのを見ても放置するのが人の道だろうか。
いや、そうではない。助ける。殺そうとする者たちを止める。自分一人の力では止められないから警察も呼ぶ。私はこれからも雑毒の善を続けるしかないのだ。潔癖な方々には申し訳ないけれど。南無阿弥陀仏。
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