ヒトラーの暗黒面に惹かれる気持ち
- 恵琳
- 2022年2月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年2月25日
非常に書きづらい事ですが、私はヒトラーの悲劇的な面や笑顔や寝顔だけでなく、映画「意志の勝利」で描かれるような、演説で人々を熱狂させる面、そして戦争や虐殺の残酷さにも惹かれていて、彼のことを凄い、素晴らしい、偉大だとも思ってしまいます。たとえ人をだます演説や、独裁や、戦争や、差別や虐殺が悪だと分かっていても。
私は時々ヴェルヴェッツの「ヘロイン」をBGMに、独ソ戦のヤク中兵士が狂ったように戦うシーンを連想しては興奮します。 そのくらい戦争や麻薬や狂気や残酷なものに惹かれているのです。
そしてそんな自分にぞっとして、「ヒトラーのどこがすごいの、いいの、素晴らしいの」と自問したことがあるのですが、「ここがすごい」という答えがはっきりと浮かんできませんでした。でも実は「ヒトラーの演説がすごい」とか「圧倒的な権力がすごい」とか「虐殺や戦争がすごい」という答えはあるのです。しかしそれを認めたくないだけです。
こういう面も抑えつけず、しっかり見て言語化していかないといけないなあと思います。
光にも闇にも惹かれるのが人間の本性なのであり、その本性を見据えることでしか、私の心の問題や社会問題の真の解決はありえないと思います。地に足着かぬ道徳ばかり説く薄っぺらい人間でありたくないです。やはり理性がすべてではないのですね。理性で感情を抑えつけるのは万病のもとだと思っています。
こういうことを書くと、道徳を重んじる活動家やショアの被害者の方々が怒るかもしれませんが……。
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上のようなことを友人Aさんに話したら、「あなたはヒトラーのような力を欲しているのではないか」と言われました。私はそれに違和感を感じましたのでここに書きます。
私は「強くなりたい」と思っていますが、それとヒトラーへの愛はあまり関係ないと思います。 私はヒトラーを愛するとき、「子を慈しむ母」のような感情になりますから。「アディ、可愛いね。お願いだから、戦争や虐殺はやめてね」と。 しかし「力強い指導者」として見上げるような目線で見るときもあるのです。 しかしそれは……「子を慈しむ母」としての愛より浅い気がします。 ヒトラーを見上げてしまうのは、もしかしたら不道徳脅迫(不謹慎なことを本心でもないのについ考えてしまう事。人が死んだら突然「良かった」という思いが湧いて苦しむなど。強迫性障害の一種)ではないかとも思います。 母性愛のほうが浅はかな尊敬心よりもよほど深いです。
強迫性障害の不道徳強迫についての記事です。
水谷心療内科 こころの総合診療医 BLOG
『懺悔(ざんげ)強迫・加害恐怖と強迫性障害(強迫神経症)』 https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/compulsive-disorder2/
ヒトラーのような強い権力──なんでも思い通りになる力を持つのは危ういことだと思っています。 「敵」とみなした人の気持ちも考えず、一方的に蹴散らすのでしょう? 非常に怖いです。 ただ、私は自分に対してそういうこと──容赦ない罵倒──をしてしまうので、ヒトラー的な部分が十分あると思っています。他人にあまり矛先が向かないだけです。まあ自分より賢くない人にはきつい言葉を投げたり、陰口を叩いたりしてしまいますが、その人に対する怒りは自分への怒りよりは弱めです。それほど自分が憎いのです。少し邪悪なことを考えただけでボコボコにしますから……。
本当の強さには優しさが伴わなければいけません。
2022.2.25追記
私は人を圧倒する力よりも優しさがほしいです。強さは敵を殲滅する冷酷さでなく、敵さえも愛する優しさとセットであってほしいです。優しさとは甘やかすことでなく、正しく相手を見て、相手の靴を履き、相手の事情を知り、抱きしめるときは抱きしめ、叱るときは叱り、適切な対応をすることです。私はヒトラーとは逆の道を行きます。
あなたのこういう面を知らなんだ。ヒトラーの悪が好きなんやな。
でも、おれも権力は凄いとおもいよ。「サブライム」は、昔から芸術のネタや、悪いことない。
わしも毛沢東や林彪は好きやし、文革や史記には、ゾクゾク、わくわく、ニタニタとなる。
で、あなたが悪に惹かれるということが、いつも言うてる「闇」なのか?
怖そうやが、ぼくのサブライム崇敬には、笑いはあっても、闇はないよ?
あなたのこの記事は大事やから、また一緒に考えよう。