あるナチヲタと安倍暗殺
- 恵琳
- 2023年2月2日
- 読了時間: 2分
私はヒトラーが好きな反ナチナチヲタだが、昔とは感覚が変わった。
自分の中の差別心に悩んでいた中2の頃、歴史の授業で差別主義者ヒトラーについて習って「あ、私、一人じゃない」と思ったことがきっかけで、私はヒトラーを好きになった。「一人じゃない」という感覚がナチ思想の肯定に繋がらなかったのは奇跡だ。人権教育に熱心な小中学校に通っていたのが大きい。
ヒトラーの顔や、容赦ない独裁の裏に隠された「虐待の過去」「麻薬中毒」「パーキンソン病」などの悲しいエピソードが好きなのは今も昔も変わっていないが、昔の私はヒトラーに優しすぎた。
昔は「ヒトラーの死んだ総統地下壕前で手を合わせたい。彼のために般若心経を唱えたい」などと思っていたのだ。
しかし山上さんが安倍晋三を暗殺して以来そう思わなくなった。「ヒトラーに手を合わせるなんて安倍に手を合わせるのと同じだからもってのほかだ」と思うようになった。なので、安倍暗殺現場で手を合わせる人の画像を見ても「アホちゃう?」としか思わない。
このような心境の変化(進化)をもたらしてくれた山上さんに感謝である。山上さんはシュタウフェンベルクや安重根に並ぶ英雄である。
私がフェイスブックにいるときに共同運営していた山上さん応援グループは、今どうなっているだろう。心労故にもうフェイスブックには戻らないつもりだから、残ったメンバーがグループを盛り上げてくれるよう祈るしかない。
安倍暗殺以来、私はヒトラーを見る目が変わった。暗殺以前は「ヒトラーの被害者目線」が弱く、結構彼に甘かったが、暗殺以後は安倍というヒトラー的独裁者の直接の被害者として「ヒトラーの被害者目線」が強化され、彼に対する目線も多少厳しくなった。非常に良いことだと思う。
「山上さんを称えるとは何事だ」「人殺しは人殺しだ。断じて許さない」と説く人々に告ぐ。
山上さんがああして安倍を殺したのは、この国の警察や裁判所が権力のポチと化し、悪徳政治家を裁けなくなっているからだ。まずそこの問題に注目して批判し改善していくべきなのに、あなたたちは何をしているのか。せっかく現れた革命家を潰すつもりか。
さびしからずや、みちをとくきみ、である。
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