『説教したがる男たち』感想
- 恵琳
- 2022年9月7日
- 読了時間: 3分

レベッカ・ソルニットのフェミニズムエッセイ集『説教したがる男たち』(ハーン小路恭子訳、左右社)、ようやく読了。スピード感あふれる文体で、サクサク読めた。
この本の中には「沈黙の強要」や「女性はひとしなみに信頼性に欠けると非難されている」などの共感できすぎる言葉がたくさんたくさん出てきて、何度も「分かるー!」「ほんまそれ!」と叫んだ。それほど女には刺さるエッセイなのだ。
最初の部分を少し読んだだけの元彼には少々刺激が強かったようだが。
彼は私がこうしてDV被害を告発しているのも気に入らないらしく、私に「沈黙の強要」をしてくる。しかし私は黙らない。黙ったらそこで試合終了だから。もしかしたら私だって間違った証言をするかもしれないが、そのときはその時で指摘され次第修正すればいいだけの話だ。
「女は信頼性に欠ける」という言葉は、「異民族は信頼性に欠ける」「障害者は信頼性に欠ける」などと読み替えることもできそうで、怖くなる。「相手が異民族/障害者である」というだけで、そうでない人たちよりも「信頼できない」などと思わないように気をつけたい。皆同じ人間なのだから、差別や攻撃などしていたら時間と労力の無駄だし、仲間が減ってもったいない。
この本、読もうと思えばひと月も経たないうちに読めたはずだ。
しかし実はこの本を買ったのは半年ほど前である。こんなにも読むのに時間がかかったのは、他に読みたい本がたくさんあって浮気していたからというのと、元彼に振り回されていたからだ。いや、気の弱さ故に自ら元彼に服従し、ズタボロになることを選んでしまっていたからだ。いや、選ばされていたのか?
当時の私は、元彼からDVと洗脳を受けていた。そして元彼の「俺京都行くねんけど、恵琳と一緒に居りたいから来てほしい」という誘いに乗り、お金もろくにないのに彼から借金して、彼に付き従って京都と大阪を何度も何度も往復し、疲れ果てていた。
なぜ京都に行っていたかというと、マルクスとエンゲルスの共著『共産党宣言』の読書会などの用事のためだった。なのでなかなか『説教したがる男たち』を読みたくても読めずにいたのだ。
あのときの私は本当に愚かだった。金銭的にも体力的にも無理な誘いなど断ればよかったのに、「お出かけしたい」という欲が出たのだ。まあ強い口調で私を誘った元彼にも責任があるのだが。
おかげで私は貧乏人にとっては多額の借金返済義務を負ってしまっている。少しずつ働いて返さねばならない。この借金、慰謝料代わりと思えば返さなくていいかもとも思ったが、そうはいかないかもしれない……。
今は元彼とは別れたが、私をさんざん傷つけ振り回した彼にこそこの本を読んでもらいたい。最初の2章のコピーは彼に渡したが、あとは自分で図書館で借りるなりしてぜひ読んでほしい。
男に虐げられれば虐げられるほど、フェミニズムのありがたみや魅力がわかるようになる。皮肉なことだが、これが真実なのだ。これからも私は、この世にごまんといる「説教したがる男たち」と闘っていきたい。
この本に描かれている誇り高い女達、そしてフェミニズムに理解ある男たちの闘いは、私のこのベルガモのブログを書くという運動にもいい影響を与えてくれそうだ。ありがとう、レベッカ・ソルニットさん、この本に携わった皆さん、そして世にはびこる「説教したがる男たち」と闘うすべての皆さん。
私達は、語り続ける。「黙ってれば済む話だろうが!」「隠してさえいれば安泰に生きられるのに、なぜそうしないの!」と怒鳴られようとも……!
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