『地獄極楽絵本』感想
- 恵琳
- 2022年8月31日
- 読了時間: 3分
前までオンラインでつながっていたとある人が、地獄絵本について言及なさっていたので、私も図書館で借りて読んでみることにした。
『地獄極楽絵本』諸橋精光(作)津田真一(監修)小学館 2014年

内容はだいたいこんな感じである。
仏画が上手く描けずに悩む小僧の真観(しんかん)さん。そんな彼が眠りに落ちたとき、お地蔵さんがやってきて、こう教え諭す。
「人間というものはだれでも心の奥底に自分でも意識していない暗いおそろしい面をもっている。そちらのほうも見ないと、ほんとうのみ仏の心は理解できないのだ」(p.10)
そして真観さんとお地蔵さんの地獄巡りが始まるのだった。
中有(ちゅうう)という闇の世界や、険しい死出(しで)の山、三途の川などを経て辿り着いた宮殿。そこでは、閻魔大王が人々を見定め、この後どんな世界へ行くかの判断をする。
それにしても、虫殺しや盗みなど、些細な罪を犯した人でも地獄に振り分けられて、燃やされたり切り刻まれたりされていて、可哀想すぎる。
こんな調子では全ての人が地獄行きではないか。何ということだ。仏教もいずれは乗り越えられねばならない、克服されねばならない何かなのだと強く感じる。
そして最後の阿鼻地獄。ここでは世界が終わるまで果てしない責め苦が続く。罪人たちは燃やされ、殺され、生き返り、また殺されを繰り返す。なんの慈悲もない世界だ。きっと大量殺人者ヒトラーやスターリン、毛沢東やポル・ポトもここにいるのだろう。存分に苦しむが良い。
そして一通り地獄を見終わったあとで、お地蔵さんが真観さんにこう教える。
「この地獄に燃えている火はじつは渇愛といって、わたしたちすべての人間の心の、意識もとどかない奥底にある生命の力そのものなのだ」(p.179)
この言葉を読んで私はうるっときた。そうだ。どんな善人だって、悪人だって、歴史に残る聖者だって、大量虐殺者だって、その行動――善行も悪行も――の源になったのは、この渇愛の火なのだ。
人は誰でもきっと、愛し愛されたい、より良く生きたいと思っている。また反対に、人を攻撃したい、堕落してしまいたいと考えてしまう。要は皆私と同じ人間なのだ。
ヒトラーだって安倍晋三だってスターリンだって、アンネ・フランクだって山上徹也だってネルソン・マンデラだって、同じ人間なのだ。
そして最後に真観さんは、お地蔵さんに極楽に上げてもらい、蓮の花咲く美しい仏の世界を心ゆくまで堪能する。
こうして、現実世界に戻ってきた真観さんは、立派な仏画師になったのだった。
***
この本をとある在家人(出家はしていないが熱心に仏教を信じている人)にも読ませたのだが、本当に気に入ってくれていた。「何回も読んだわ。今頃ヒトラーはどのあたりにおるんやろなあと思いながらな……」とのことだ。
皆さんもぜひいかがだろうか。
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