「存在する」ことで抵抗する
- 恵琳
- 2022年12月10日
- 読了時間: 2分
今日は梅田解放区という街頭デモに参加しました。
会場では親友に会えて、喜びのあまり反戦シュプレヒコールをしながら相手と向かい合って両手をバンバン叩き合わせました。
珍しくメガネをかけた親友は、いつもより可愛くて優しそうでした。
その後私はマイクを持ち、「女性に対して、化粧や白髪染め、脇毛などの体毛剃りを強要しないでほしい」と訴えました。
会場には反戦平和主義者の方や、大阪の人工島・夢洲(ゆめしま)のカジノ建設に反対する方々もいました。
デモの後はサイゼリヤ。
食事が出るまでの待ち時間に『アウシュヴィッツのお針子』(ルーシー・アドリントン著、宇丹貴代実訳、河出書房新社)を読みました。
これはアウシュヴィッツ収容所でユダヤ人や共産主義者の被収容者の一部が、ナチ高官の妻たち(アウシュヴィッツ所長の妻ヘートヴィヒ・ヘスなど)のために高級服を仕立てていたというノンフィクションです。
ナチスはあれだけユダヤ人を毛嫌いしていたのに、結果として彼らに依存していたのだなあ、矛盾だらけの組織だなあ、こりゃ長続きせんわ、と思います。
差別主義に染まってしまった人類の愚行について学んでいると、発達障害で周りに迷惑をかけてしまう自分を余計者と見做して苦しんだり、自殺しようとするのがアホらしくなってきます。
「ナチスはユダヤ人や障害者などのマイノリティを『いらない人』『邪魔者』と見做して殺戮した。
自民党も生活保護費を減らして貧しい私を苦しめている。だから私が自殺したら、ナチスや自民党などの差別主義者を喜ばせることになる。私が生きていること、存在していることそのものが、差別への抵抗なのだ。だから私の存在は非常に意義深く、この世に必要なのだ」
障害者である私が差別や虐殺について学ぶということは、「自分にも生きる権利がある」「自分がここに生きているという事実こそ、反差別の意思表示である」と実感することなのだと思います。
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