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2022/1/26釜ヶ崎夜回り

  • 執筆者の写真: 恵琳
    恵琳
  • 2022年1月28日
  • 読了時間: 5分

1月26日、ホームレス時代のアドルフ・ヒトラーの気持ちを知るために、夜回りに参加し、野宿者におむすびを配った。


夜回りについて語る前に、ヒトラーの貧しい青年時代について語っておこう。

ヒトラーは18歳の頃、造形美術アカデミーに入学したくて、オーストリアのリンツからウィーンにやってきた。そして試験を受けたのだが不合格になってしまった。しかし親友のアウグスト・クビツェクは志望していた音楽学校に一発合格。そんな親友への劣等感ゆえか知らないが、ヒトラーはアウグストの帰省中に、彼とシェアしていた下宿を脱走。居を転々とした後、ホームレス、安宿の住民、カフェ難民(カフェに寝泊まりする人)になってしまう。

私はそんな彼の気持ちが少しでも知れたらいいなと思い、かねてから夜回りに参加したいと思っていた。しかし、夜の釜ヶ崎に怖いイメージを持っていてなかなか参加する勇気がなかった。

しかし意を決して、大阪の日雇い労働者の街・釜ヶ崎のみんなの居場所「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」に「今日夜回り参加します」と電話した。当日電話して悪かったと思うが、向こうは快諾してくれた。


16時ごろココルームに着き、みんなでおにぎりを作り、枇杷茶をペットボトルに詰め、お菓子を小袋に詰め(私はやっていない)、飲食物をレジ袋に詰めた。そしてメッセージカードをみんなで書き、それらを一枚の紙にまとめて縮小コピーしたものをレジ袋に入れた。私はメッセージカードにトラの絵とロバート・フリップの絵を描いて、「2022年もえガオで」「生きて下さい」とメッセージを添えた。もっとまじめにメッセージを書けと思うが、こういうイラストもありなのだろうか。まあ確かに文字ばかりよりも絵もあった方がいいかもしれない。


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そしてまかないご飯を食べたあと、私は夜回り隊に初めて加わったのだった。

商店街の中を少し歩くとすぐ、野宿者のおっちゃんが寝そべっているのを見つけた。メンバーの一人が「こんばんは〜、夜回りです〜」と言って、おっちゃんに食料の入ったレジ袋を手渡した。おっちゃんは「ありがとう」と答えた。

野宿者の人たちの中には、ダンボールを布団や仕切り代わりにしている人がいた。また、ゴミに囲まれて生活している人もいれば、饐えた臭いを放っている人もいたし、羽毛布団を被っている人もいた。羽毛布団を持っていれば上等だが、それがない人は冬を越すのが辛いだろうなと思う。

野宿者の人たちは基本的に高齢男性だったが、一人若い男性もいた。フェンス越しに何やらこちらに向かって話しかけていたが、声が小さいのと電車の音が大きいのと、こちらの耳が悪いのとでよく聞き取れなかった。本当にもどかしかった。でも「仕事がいつもあるわけじゃない」ということは分かった。

野宿者の人たちは見つけただけでも25人ぐらいはいたが、私達は21袋しか食料を持っていなかったので、すべての人に行き渡らなかった。でも最後の一袋を4人の野宿者の人たちに渡した人によると、4人のうち2人は、「俺はええよ」と遠慮し、残り2人は2つのおにぎりを分け合ったという。喧嘩にならなくて本当によかった。

ヒトラーももしかしたら、慈善団体の人たちにこうやって食料をもらったのかもしれない。彼はどんな気持ちだっただろうか。嬉しかっただろうか。それとも「お恵みなんかいらない」と拒否しただろうか。

ちなみに夜回りの途中で喧嘩している2人の男性を見たものの、誰かに襲われることはまったくなかった。


夜回りからココルームに帰ると、みんなで感想を紙に書いて発表した。

メンバーの中に、NPO法人ホロコースト教育資料センター(愛称Kokoro)の「ヨーロッパピーススタディツアー」に参加したことのあるMさんという方がいた。その方は「みんな社会に生きる仲間なんだ」「他者への想像力を忘れちゃいけない」というふうに、すごく優しさに満ち溢れた感想を発表していらっしゃって、本当にうらやましいなあ、優しい感性の持ち主だなあと思った。念のためMさんとは連絡先を交換しておいた。

また、何人かの人が「本当は自分の中に野宿者への見下しの気持ちがあって、それが表れていたのではないか」という、不安というか罪悪感を語っていた。それは私も同じである。私も野宿者の人に対して「生き延びてくださいよ」などと上から目線で発言してしまったことを後悔している。

私の番が回ってきた。私は震えながら、「私は……実は……はあ……はあ……ヒトラーの人生に興味がありまして……」と言葉を絞り出した。私は他人に対して「ヒトラーに興味がある」という事実を非常に言いにくいのだ。打ち明けたら居場所のなくなるような秘密を暴露するかのような感覚になる。しかし「ヒトラーに興味がある」の一言を出せて、周りの人が怒らないのを確認すると、勇気と言葉を振り絞った。

「ヒトラーは若いころ、ウィーンでホームレス生活をしてたんです。ホームレス時代、もしかしたら慈善団体から食べ物をもらっていたかもしれません。彼はどんな気持ちやったでしょう。喜んで涙ながらに食べたでしょうか。それとも『いらない』と拒否したでしょうか。どちらにしろ、虐げられる側やった彼が虐げる側に変わって、多くのユダヤ人等を迫害・虐殺したのは悲しい事やと思います。ワルシャワ・ゲットーにも路上に寝そべる子がおりました。かつてのヒトラーのように……以上です」

発表を終えた私は温かい拍手に迎えられ、ほっと一安心した。


全員の発表が終わったところで、夜回り隊は解散した。本当に有意義な夜だった。

 
 
 

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