世界を敵に回す恋
- 恵琳
- 2021年10月10日
- 読了時間: 2分
※この記事には、映画『天気の子』のネタバレを含む。未見の方はご注意いただきたい。
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2019年夏、新海誠の小説『天気の子』を読み終えたとき、私は主人公の帆高に強い怒りを感じていた。なぜなら、彼は愛する陽菜を得る代わりに、世界の一部を水没させたのだから。
「なんて自分勝手なんだ、この人殺し! お前のせいでどんだけ人が死ぬか、どんだけの人が住処を追われるか分かってんのか!」と憤りを隠せなかった。
そして、帆高を支えた須賀という男の、「世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」という言葉の愚かさ、浅はかさにも腹が立った。
「世界を狂わせたのは私達人間じゃないか。何がもともと狂ってる、だ! 環境問題や気候危機を作り出したのは私達だ!」と。
しばらく後になって映画のDVDを観たときも、同じ憤りを感じた。帆高の幼さ、自分勝手さ、須賀含め彼に協力した人々に腹が立った。
しかし、今は違う。
よく考えたら帆高は、私と立場が同じなのだ。
彼は世界を敵に回す恋をして、その恋を成就させたのだ。
彼を責める人も正しいし、彼を擁護する人も正しい。そう簡単には解決できない問題を、この映画は提示している。「自分の願いと世界(周囲)の願いが真っ向からぶつかったとき、人はどうすればいいのか?」という問いだ。
私はベルガモを通じて、みんなに私のことを知ってもらいたい。しかしそれには恐怖と困難と嘲笑がつきものだ。しかし、そう簡単にこのサイトをたたむわけにはいかない。地道に活動していれば、理解者にも出会えることだろう。というか実際に出会えた。
これからもこのやわなブロガーを温かく見守っていただきたい。
私のやっていることは、もしかしたら間違っているかもしれない。犯罪被害者からしたら大迷惑かもしれない。しかし、書かずにはいられないのだ。
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