濱野ちひろ『聖なるズー』(集英社)感想
- 恵琳
- 2021年9月23日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年9月26日
私は動物(特に犬)恐怖症だが、動物性愛は大いにアリだと思う。人間が人間同士としか愛し合えないわけがないからだ。それなのになぜ、この世には動物性愛を「キモい」だの「おかしい」だの「意味が分からない」だのと言う人たちがいるのだろうか。彼らの言葉はこれから先ブーメランとなって彼ら自身に跳ね返るだろう。
この本の出版差し止めを求めるおぞましいネット署名もあったが、私は革命的で素晴らしいノンフィクションだと思う。
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ちなみに、この本に出てくる動物性愛者たちは小児性愛者を非常に嫌っていた。彼らはパートナーの動物と対等であろうと努力する素晴らしい人たちである。だからこそ、不平等な関係を結んで子供を支配しようとする大人が許せないのだと思う。それは私も同じだ。
小児性愛は不平等な関係だ。大人と子供が対等に愛し合うのはまず不可能である。特に成人男性と少女の場合は、性差と体格差と年齢差の3つの差が重なって、どうしても不平等になってしまう。
しかし人が人を愛することは自由のはずである。だから私は、小児性愛者自身が子供を襲わないようにラブドールで性欲を満たすことに賛成するし、「子供に恋する大人はおかしいから病院に行け」とも言わない。ただし子供をレイプしてしまう大人は病院や自助グループ等に通って自分の性欲をコントロールする術を身につけるべきだ。
とりあえず確かなのは、相手が動物性愛者だとか小児性愛者だとか犯罪性愛者だとか聞いただけで、その人を悪人と決めつけてはならないという事だ。日本人や韓国人やアメリカ人にいろいろな人がいるように、セクマイにもいろいろな人がいる。個人を「動物性愛者」とか「韓国人」とかカテゴリー単位で見て「善人」「悪人」などと判断してはいけない。
これからは人々の多様性が尊重される社会になっていくだろう。そこから零れ落ちる人がいてはならないのである。
私も自分の存在を多様性の一部として尊重できるようになりたい。「私は生きていていいんだ」という揺るぎない安心感を抱けるようになりたい。誰もが「私は生きていていいんだ」と思える社会こそ、真に平和で寛容な社会である。
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